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*下記の日本語文書は参考のための仮翻訳で、正文は英文です。

注・ 翻訳は米国大使館報道室が報告書の英語版から抜粋した部分のみで全訳ではありません。抜粋部分の翻訳は、オリジナルの目次の順番とは異なる場合があります。)

国際テロ年次報告書 2003年(抜粋)
英語版へのリンク

国務省テロ対策調整官室

2004年4月29日発表

2003年の概観(訂正版)

東アジア概観(抜粋)

 ■中国

 ■日本

■南アジア概観

 ■アフガニスタン

テロ支援国家概観

 ■テロ支援国家 – その影響

 ■化学・生物・放射性物質・核(CBRN)兵器によるテロ

 ■イラン

 ■イラク

 ■北朝鮮

■付録D:米国の各種制度と政策

 ■テロ支援国家

■付録E:2003年の米軍による対テロ作戦の概要

 ■イラクの自由作戦

 ■不朽の自由作戦

■付録F:経済面でテロと戦う

 ■テロ資金対策制度の構築

 



2003年の概観
(訂正版)

以下は訂正された「2003年の概観」である。

国際テロ年次報告書
テロ対策調整官室発表
2004年6月22日

2003年の概観(訂正版)


 2003年の国際テロ件数は208件で、最新の発表による2002年の件数198件(205件に訂正)に比べわずかに増加、また2001年の355件に比べると42%の減少となった。2003年の国際テロによる死亡者総数は625人で、2002年の725人に比べ減少した。2003年のテロによる負傷者総数は3646人で、前年の2013人に比べ急増した。この増加は、2003年には、礼拝所、ホテル、商業地区など『ソフト・ターゲット(民間の標的)』を対象に、大量の死傷者を出すことを意図した無差別テロが多かったことを反映している。

 2003年には、以下の35人の米国人がテロによって死亡した。

• 1月21日にクウェートで、マイケル・ルネ・プーリオが、赤信号で停車中、武装犯に車を銃撃され、死亡した。

• 2月13日、コロンビアで、トーマス・ジャニスがコロンビア革命軍(FARC)のテロリストらに殺害された。ジャニスは、操縦していた飛行機がジャングルに墜落し、同乗のコロンビア軍人とともに負傷した。2人はテロリストに発見され、射殺された。このほかに、キース・スタンセル、マーク・D・ゴンサルベス、トーマス・R・ハウズの米国人3人が同乗していたが、彼らはFARCに拉致され、2004年6月現在人質となったままである。

• 3月4日、フィリピンのダバオで、混雑する空港ターミナル内でバックパックに隠された爆弾が爆発し、ウィリアム・ハイドが死亡した。このほか20人が死亡し、149人が負傷した。この事件の容疑者は、モロ・イスラム解放戦線(MILF)の一員を名乗っているが、MILFはつながりを一切否定している。

• 3月5日、イスラエルのハイファで自爆テロリストがバス内で爆弾装置を爆発させた事件で、アビゲール・エリザベス・ライトルが死亡した。

• 3月7日、入植地キリヤット・アルバで食事をしていたユダヤ教指導者エルナタン・イーライ・ホロウィッツと妻のデブラ・ルース・ホロウィッツが、武装したパレスチナ人に銃撃され、死亡した。

• 最も死者数の多かった対米テロは、5月12日にサウジアラビアのリヤドで発生した自爆テロである。ビネル、ジャダウェル、アルハムラの各居住区を、爆弾を積んだ複数の車が攻撃し、米国人9人が死亡した。ビネル居住区の米国人犠牲者は、オバイダ・ユサフ・アブダラ、トッド・マイケル・ブレア、ジェーソン・エリック・ベントリー、ジェームズ・リー・カーペンター2世、ハーマン・ディアス、アレックス・ジャクソン、クインシ・リー・ノックス、およびクリフォード・J・ローソン。アルハムラ居住区では、モハメッド・アテフ・アルカヤリが死亡した。

• 6月11日、エルサレムに近いジャファ・ロードのクラル・センター付近で発生したバス爆破事件で、アラン・ビアとバーティン・ジョセフ・ティタが死亡した。

• 6月20日、西岸の入植地オフラ付近で、ハワード・クレーグ・ゴールドスタインが銃撃され死亡した。

• 8月5日、イラクのティクリートで、民間の請負業者フレッド・ブライアントが、車で簡易爆発物に接触し、死亡した。

• 8月19日にバグダッドで発生した、カナル・ホテル内の国連本部に対するトラック爆弾テロによる死者のうち、アーサー・ヘルトン、リチャード・フーパー、マーサ・ティアスの3人が米国人だった。この事件では、セルジオ・ビエイラ・デメロ国連特別代表をはじめ23人が死亡した。

• 8月19日、エルサレムで、自爆テロ犯がバスの中で、体に付けていた爆弾を爆発させ、米国人5人が死亡した。米国人犠牲者は、ゴールディ・ザーコウスキ、イーライ・ザーコウスキ、モーデカイ・ライニッツ、イエスーチャー・ドブ・ライニッツ、およびテヒラ・ネーサンセンである。このほかに15人が死亡し、140人が負傷した。

• 9月9日、エルサレムのカフェ・ヒレルで、デービッド・アップルバウム博士と娘のナーバ・アップルバウムが、爆弾テロにより死亡した。

• 10月15日、在テルアビブ米国大使館の車列がガザ地区を走行中、沿道に仕掛けられた爆弾が爆発し、米国人3人が死亡した。亡くなったのはジョン・ブランチジオ、マーク・T・パーソン、およびジョン・マーティン・リンド・ジュニアの3人で、いずれも米国大使館と契約を結ぶ警備担当者だった。

• 10月26日、バグダッドのアルラシード・ホテルがロケット推進式手りゅう弾で攻撃され、チャールズ・H・ビューリング中佐が死亡した。攻撃時には、ポール・D・ウォルフォウィッツ国防副長官が同ホテルに滞在していた。

• 10月27日、アフガニスタンのシュキンで、ウィリアム・カールソンとクリストファー・グレン・ミューラーの米国人2人が、待ち伏せていた武装過激派に襲われ、死亡した。2人とも米国政府の契約職員だった。

 注:新しい情報の入手とともに、発表済みのデータが訂正されている。現時点で、2002年の国際テロ事件の総件数は、205件である。
 


東アジア概観
(抜粋)

 オーストラリア、日本、英国、カナダ、ニュージーランドなどのパートナー諸国が米国と協力して訓練および援助を提供し、この地域の各国政府がこれらの難題を克服する過程を支援している。そうした能力を築くための主要な手段は、引き続き2国間の関与プログラムであるが、テロ対策の課題に対する地域的および多国間のアプローチを促進する努力も大きく前進した。テロ対策作業計画のための東南アジア諸国連合(ASEAN)地域フォーラム(ARF)、アジア太平洋経済協力会議(APEC)テロ対策タスクフォース、およびその他の機構の成果を踏まえて、この地域全体が、警察・法執行機関の協力、国境警備、輸送安全、情報共有、テロ資金対策、および法体制の整備といった分野で前進している。

 オーストラリアと日本は、2003年も引き続き国内外における強力な対テロの姿勢を維持した。11月にキャンベラで行われた3カ国のテロ対策担当大使の会合で、日豪両国の政府高官は、長期にわたるテロとの戦いで米国に協力する固い決意を公に宣言した。オーストラリアと日本は引き続きアフガニスタンにおけるテロとの戦いに貢献している。オーストラリアは、イラクで米国主導の連合軍に強力な貢献をした。一方、日本が7月に、自衛隊のイラク派遣条項を含むイラク復興支援特別措置法を成立させたことは、復興および人道支援への日本の強い意欲を表すものである(2004年初めには自衛隊が派遣された)。

 オーストラリアと日本は、アジア太平洋諸国がさまざまな国際的および地域的なフォーラムでテロ対策能力の構築を積極的に支援している。一例を挙げると、オーストラリアは東南アジアにおける2国間テロ対策協定のネットワークを8カ国に拡大した。2003年のAPEC首脳会議は、旅客情報システムの進展と地域出入国警戒システムの開発という、オーストラリアによる2つのテロ対策関連イニシアティブを支持した。また日本の政府担当官は、出入国管理、航空保安、税関協力、輸出管理、警察・法執行機関の協力、およびテロ資金対策に関するセミナーを主導した。5月にはカンボジア当局が、ジェマー・イスラミア(JI)のメンバーとされるエジプト人1人、タイ人2人、カンボジア人1人の容疑者を逮捕した。このテロ細胞は、カンボジアでテロ攻撃を実行することを計画しており、サウジアラビアの非政府組織ウムアルクラがプノンペン郊外で運営するイスラム教の学校を本拠として活動していた。 

 中国は引き続き国際テロに対して明確な姿勢を取っており、概して世界的な対テロ戦争を支持している。中国は上海協力機構(SCO)に積極的に参加しており、8月にはカザフスタンと新疆省で行われたテロ対策合同軍事演習に参加した。中国人民銀行はテロ資金調査部門を含む資金洗浄対策局の設置を進めている。総じて中国政府は国際テロ捜査に協力する意志を表示している。また、主として新疆を本拠とするテロリストが中国領土内で活動をしているとの主張を続けている。 

中国

 中国政府は引き続き国際テロに反対する姿勢を明確に表明し、概して世界的な対テロ戦争を支持している。あらゆるレベルの中国政府当局者が繰り返しテロを非難しており、また中国は国際的および地域的なフォーラムにおいて、テロ対策協議に定期的に参加している。例えば、中国は上海協力機構(SCO)に積極的に参加しており、ウズベキスタン共和国のタシケントで2004年に活動開始予定のSCOテロ対策センターの設立を支援した。また2003年8月にはカザフスタンと新疆省で行われたSCOのテロ対策合同軍事演習に参加した。 

 中国は、テロ資産の封鎖と凍結のための外交措置を支持している。中国政府は、米国大統領令13224の下でテロリストに指定された個人・組織については、国連安保理決議1267の制裁委員会が指定した個人・組織と同様に扱っている。米国と中国は、テロ資金供与の抑止に関して定期的にテロ対策協議や専門家レベルの協議を行っている。中国人民銀行はテロ資金調査部門を含む資金洗浄対策局の設置を進めている。

 総じて中国政府は国際テロ捜査に協力する意志を表している。中国政府当局者は、2002年10月にテロの罪で起訴されたオレゴン州ポートランド市の6人(「ポートランド・シックス」)の捜査に積極的に協力し、ホテル宿泊記録などの情報を提供した。こうした情報が被告らの罪状容認につながった。 

 2003年には、中国内における国際テロ行為はなかったが、中国各地で数件の爆破事件あるいは爆破予告事件が報告された。これらの事件が、政治目的のテロ行為なのか、あるいは犯罪行為であったのかは不明である。中国政府当局は、主として新疆を本拠とするテロリストが中国領土内で活動を続けていると主張している。例えば、12月15日に中国の公安省は、中国政府がテロリストと見なす「東トルキスタン」の各組織および個人のリストを発表した。このリストには、東トルキスタン・イスラム運動(ETIM)、東トルキスタン解放党(通称SHAT)、世界ウイグル青年会議、および東トルキスタン情報センターの4組織が入っている。

 また、このリストには、上記各組織のリーダーをはじめ11人の個人がテロリストとして挙げられている。公安省は、リストの各組織が新疆で具体的なテロ行為を計画・実行したこと、およびこれらの組織がいずれも相互に、またアルカイダ・ネットワークとつながっていることを証明する決定的な証拠がある、と述べた。中国政府は、このリストを発表した後、こうした組織や個人との戦いにおいて国際社会が中国を支援することを要請し、これら組織の資産の凍結、各組織の非合法化、および各国によるこれら組織への支援と資金供与の停止を要求した。また中国政府は、テロリストに指定した個人の捜査、逮捕、送還を国際社会が支援することを求めた。米国務省は、ETIMを同省のテロリスト入国拒否リストに加えるとともに、米国大統領令13224の下でもテロ組織に指定しているが、他の3組織は米国の法律によるテロ組織指定は受けていない。 

 中国は、12の国際テロ防止関連条約・議定書のうち11の締約国であり、国際テロ資金供与防止条約にも調印している。


日本

 日本は2003年も、強力な対テロの姿勢を維持した。小泉首相をはじめ多くの政府高官が、長期にわたるテロとの戦いで米国を支持する固い決意を公に表明している。日本が、アフガニスタンにおける「不朽の自由作戦」に多大な後方支援を提供したこと、そしてイラクにおける米国主導の軍事行動に対する強力な支持声明を発表したことは、こうした決意を裏付けるものである。2003年7月、日本の国会はイラク復興支援特別措置法案を可決した。同法には、自衛隊を復興および人道支援のためにイラクに派遣するための条項が含まれている。国会は、2003年10月には、テロ対策特別措置法の期限を2年間延長する改正案を可決するとともに、基本計画をさらに6カ月延長することを承認した。これには、自衛隊が「不朽の自由作戦」の支援活動に従事できることが規定されている。日本は、同作戦に参加している米国海軍が使用する燃料のほぼ40%を提供している。また、日本の航空自衛隊の航空機が、引き続き米軍のための輸送を行っている。

 日本は、さまざまな国際的および地域的なフォーラムでテロ対策措置の強化に積極的に携わっている。2003年8月、日本は米国との相互司法援助に関する条約に調印し、2004年には同条約を批准のために国会へ提出する予定である。この条約が批准されれば、テロリストの捜査および訴追がより容易になる。アルカイダとタリバンへのテロ資金供与を断ち切るために、日本は、国連安保理決議1267の制裁委員会の統合リストに入っている組織および個人を、資産凍結制度の対象に指定した。日本政府は2003年10月、日本が事前旅客情報システムに参加することを発表し、日本政府担当官が、国際出発便の旅客に関する情報を、米国、カナダ、オーストラリア、ニュージーランドなど他の参加国と共有することを義務付けた。 

 日本は引き続き、アジア諸国におけるテロ対策能力の構築に、貴重な貢献をしている。日本の政府担当官は、出入国管理、航空保安、税関協力、輸出管理、警察・法執行機関の協力、およびテロ資金対策に関するセミナーを主導している。2003年8月にジャカルタで発生したマリオット・ホテル爆破事件では、インドネシア警察による捜査を援助するため日本の警察庁関係者が派遣された。日本は、2002年10月のバリ島爆弾テロ事件後にも、犯罪捜査官をインドネシアに派遣した。また日本は、テロ資金供与監視システムの構築を目指している東南アジア諸国への技術援助も提供している。一例を挙げると、日本は2003年10月、東南アジア諸国を対象に、金融情報部門の設立に関するセミナーを主催した。 

 2003年には日本国内で国際テロ事件は発生しなかった。1995年に東京の地下鉄でサリンガスによるテロを実行したとされるオウム真理教のメンバーの裁判が続いている。オウム真理教は、米国により外国テロ組織に指定されている。検察側はオウム真理教元代表の松本被告に死刑を求刑しており、2004年初めには判決が下される予定である。1995年に起きたこの事件の被疑者3人が現在も逃亡中である。2002年12月の公安審査委員会による許可に基づき、公安調査庁は2005年末までオウム真理教の監視を続ける。 

 日本は、12の国際テロ防止関連条約・議定書すべての締約国である。



アフガニスタン(「南アジア概観」より抜粋)

 アフガニスタンは、2003年に、政府と国家の復興に向けて前進した。12月には、憲法制定のためのロヤ・ジルガ(国民大会議)がカブールで開催され、全国から集まった代表が憲法を承認し、会議は成功裏に終了した。このほかの実績としては、アフガニスタン国軍(ANA)が引き続き整備され、国家警察の訓練が拡大されたこと、武装集団の解体に向けた予備的な活動が見られたこと、そして有権者登録が始まったことなどが挙げられる。アフガニスタン国民は、新しい年には、国内各所に不安定な情勢が残る中、2004年6月に予定されている選挙の準備過程で、さまざまな課題に直面することになろう。

 カルザイ大統領とアフガニスタン政府は、引き続きテロとの戦いへの尽力を確約している。アフガニスタン国軍は、主として同国の南部および東部地域で、米国主導の連合および国際治安支援部隊(ISAF)を支援して、タリバン、アルカイダ、HIGなどの反政府分子に対する戦闘を開始した。

 タリバン、アルカイダ、およびHIGは、国家の不安定化をねらって、カブールおよびアフガニスタン東部と南部において、アフガニスタン移行政権(ATA)、米国、連合軍、およびISAFの資産を標的とした。また、これらの組織は、非政府団体や国連の施設や職員を攻撃して、復興活動を妨げた。

 アルカイダは、アフガニスタンを重要な作戦基地と見なしており、米国の存在に対して武力抵抗を続けている。アルカイダの戦闘員は、アフガニスタン東部とパキスタンの部族地域との間の険しい国境地域に残っている。アフガニスタン軍は、反政府分子に対して、米軍および連合軍との共同作戦を実行している。アフガニスタンとパキスタンは、一連の3者委員会会議を通じて、国境沿いの安全向上のために情報を交換し活動を調整する上で、大きく前進した。

 アフガニスタンは、国際テロ防止関連条約・議定書のうち11の締約国である。

 



テロ支援国家概観

 テロ支援国家として指定されている7カ国のうち一部の国、特にリビアとスーダンは、国際的なテロとの戦いに協力する有意義な措置を取った。またイラクの解放によって、長年テロ組織を支援してきた政権が除去された。しかし、その他のテロ支援国家であるキューバ、イラン、北朝鮮、およびシリアは、2003年に、テロとのつながりを完全に断ち切るために必要なすべての措置を取らなかった。このうち一部の国は、いくつかの分野で実績を改善したが、一方で、ほとんどの国は、そもそもテロ支援国家指定の根拠となった行動を継続した。

 連合軍がサダム・フセイン政権を追放したことにより、中東地域で長年にわたってテロを支援してきた政権が除去された。従って、ブッシュ大統領は2003年5月7日、テロ支援国家としてのイラクに適用されていたすべての制裁措置を一時停止した。その結果、イラクは事実上、非テロ支援国家と同等になった。しかしながら、連合軍とイラク当局は、旧政権分子、犯罪者、外国人兵士などから成る多種多様なグループによる頻繁な攻撃に直面し、イラクは国際的な対テロ戦争の最前線となっている。こうした反乱分子には、アンサール・アルイスラム、アルカイダ、およびアブ・ムサブ・アルザルカウィとつながりのあるイスラム過激派も含まれている。連合軍に対する攻撃には、各地の警察署、イタリア警察軍司令部、および国際赤十字委員会事務所を標的とした自動車爆弾による自爆攻撃などがあり、反乱とテロの区別がますます不明確になっている。外国テロ組織ムジャヒディン・ハルク(MEK)のメンバーがイラクで活動を続けていたが、年末までには米国によって拘留された。クルド自由民主会議(KADEK、現在はクルド人民会議と改称)は、非暴力を確約したにもかかわらず、トルコの標的に対する攻撃を継続した。 

 2003年にリビア政府は、国連安全保障理事会に対し、同国がテロを放棄したことを再度保証し、欧米諸国の情報機関と、テロ組織に関する情報を共有することを約束し、リビアによる過去のテロ支援に関連する問題の解決に向けた措置を取った。2003年9月に、リビアは、パンナム航空103便爆破事件に関連する国連の要件に対処し、同国政府当局者の行動の責任を認めるとともに、犠牲者の遺族に対する補償の提供に同意した。その結果、1999年に一時停止されていた国連制裁措置が、解除された。このほかにもリビアは、1980年代にリビア政府が支援したテロに関する多くの要求についても、解決に向けた努力をしているようである。2003年12月19日、カダフィ大佐は、リビアの大量破壊兵器計画およびミサイル関連技術輸出規制(MTCR)の対象となるミサイルを放棄するという歴史的な決断を下した。さらにカダフィ大佐は、米国、英国、および関連国際組織の援助を受けて、この公の確約を実行するために十分な措置を講じた。 

 スーダンによる協力と情報共有は大きく改善されたが、懸念される分野も残っている。スーダン政府は、同国からのテロリストの活動を抑止することを目指し、テロと戦うための法的手段を強化する措置を取った。 

 キューバ、イラン、北朝鮮、およびシリアの実績は、これまでとほとんど変わっていない。キューバは、米国主導の連合による国際的なテロとの戦いに反対を続けるとともに、引き続き指定外国テロ組織を援助し、テロリスト数人および米国の州・連邦の司法からの逃亡者を何十人もかくまっている。キューバ政府は、「バスク祖国と自由」(ETA)のメンバーを国内に居住させた。また、コロンビアのコロンビア革命軍(FARC)および民族解放軍(ELN)のメンバーに支援と隠れ家を提供した。イランは2003年も引き続き、最も積極的なテロ支援国家であった。イランのイスラム革命防衛隊および情報・安全保障省の職員が、テロ行為の計画と支援に関与した。イランは、2003年にアルカイダの工作員を拘留したが、拘置されている幹部の身元を明らかにすることを拒否した。イラン政府は、行動面でも言葉の上でも、反イスラエル活動の奨励を続け、レバノンのヒズボラやパレスチナのさまざまな対イスラエル強硬派に、支援と訓練を提供した。北朝鮮は、いくつかのテロ防止関連条約に署名する計画を発表したが、テロとの戦いに協力する実質的な措置を取らなかった。シリア政府は引き続きパレスチナの対イスラエル組織に支援を提供し、それらの組織が、2003年5月以降は以前より目立たなくなったものの、シリアを本拠に活動することを許した。またシリアは、イランがレバノンのヒズボラに補給をする際の積み替え地となった。そして、シリア政府当局者が公にテロを非難しているにもかかわらず、イスラエルに対する正当な抵抗と見なす行為を、テロリズムと区別している。しかし、シリア政府は、アルカイダおよびその他のイスラム過激派テロ組織に対抗する上で米国に協力し、連合軍に対抗する兵士らのイラク入国を制限する努力をしている。

 テロ支援国家は、米国および国際社会による対テロ活動を妨げている。これらの諸国は、テロ組織に重要な基盤を提供している。テロ支援国家の援助がなければ、テロ組織にとっては、テロを計画し実行するための資金、武器、物資、および安全な避難所を得ることが、はるかに難しくなる。米国は引き続き、これらの国々がテロ組織への支援を打ち切ることを強く要求していく。


テロ支援国家 – その影響

 国際テロの支援を続ける国家をテロ支援国家に指定すること(すなわち国家を「テロリズム・リスト」に載せること)により、そうした国家には米国政府による次の4種の制裁措置が適用される。

1.武器関連の輸出・売却の禁止

2.軍民両用品目の輸出管理。すなわち、テロ支援国家指定国の軍事力またはテロ支援能力を著しく増強する可能性のあるモノやサービスの輸出については、30日前に議会への通知を義務付ける。

3.経済援助の禁止

4.以下を含む金融やその他のさまざまな規制

  • 世界銀行やその他の国際金融機関による融資に米国が反対することを義務付ける。
  • テロ犠牲者の家族が米国の裁判所で民事訴訟を起こせるように、外交特権を剥奪する。
  • 企業または個人がテロ支援国家指定国で得た収入については税額控除を認めない。
  • 米国へ輸出されるモノの免税措置を認めない。
  • 米国人が、財務省の許可なくしてテロ支援国家指定国政府と金融取引を行うことを禁止する。
  • 国防総省がテロ支援国家指定国の管理する企業と10万ドルを超える契約を結ぶことを禁止する。

化学・生物・放射性物質・核(CBRN)兵器によるテロ

 大量破壊兵器(WMD)とその運搬システムは、国際平和と安全保障に対する主要な脅威となっている。テロリストがWMDの入手を目指していることが、この脅威をさらに高めている。これは、国際秩序の基盤を弱体化させる問題である。われわれは、WMDの拡散と、それによる惨禍を回避するために、可能なあらゆる手段を使うことを誓約する。<ジョージ・W・ブッシュ大統領、コンスタンティノス・シミティス欧州理事会議長、およびロマーノ・プローディ欧州委員会委員長による共同声明>

 2001年9月11日の同時多発テロ事件は、テロリストが、目的達成に役立つと考えた場合には、大量の死傷者を出そうとすることを証明した。テロリストは、おそらく今後も従来のテロ戦術に依存すると思われるが、アルカイダなどいくつかの組織は、9月11日のテロに匹敵する、あるいはそれを上回る大量の死傷者を出すための手段として、化学・生物・放射性物質・核(CBRN)兵器を追求するようになっている。危険物質や、CBRN兵器製造・運搬手段に関する情報は、現在もテロリストにとって入手可能な状況にある。

 ウサマ・ビンラディンは、WMDの入手は「宗教的な義務」であると公言し、そうした兵器を使用すると脅かしている。アフガニスタンのアルカイダ施設から回収された文書にCBRN兵器に関する情報が記載されているとの報道は、このビンラディンの言葉を裏付けている。

 しかし、こうした脅威は、ビンラディンとアルカイダだけにとどまらない。CBRN兵器に関心を持つ他の組織が少数ながら増加していることを示す情報が存在する。2002年12月に、フランスの警察は、化学汚染防護服1着を押収するとともに、化学物質による攻撃を計画していたとされるテロ細胞を逮捕した。同時期にロンドンでは、少なくともひとつの関連組織が、将来のテロ攻撃のためにリシン毒素を製造していた。

 これまでに発生したCBRNテロは、概して稚拙な即席の運搬手段によるものであり、かろうじて効果を発揮している程度である。米国における炭疽菌事件を例外として、使われた物質の製造方法も稚拙である。その他の事件では、工業用化学薬品、毒薬・殺虫剤、合法的な測定機器に埋め込まれた放射性源など、合法的な用途を持つ両用品を使用している。こうした物質および即席の攻撃装置は、致死的な効果を発揮し、かなりの損害と混乱をもたらし得るが、それは、テロリストがWMDとその効果的な運搬手段を入手した場合に発生し得る死傷者と損害の規模に比べれば、小さなものである。

 WMDとその運搬手段ならびに関連物質および関連技術の拡散防止は、長年にわたり国家安全保障の柱となってきたが、9月11日の同時多発テロ以降、これまで以上に世界的な緊急案件となっている。ブッシュ大統領は、2002年12月の「大量破壊兵器に対する国家戦略」で、この緊急性を明確にし、テロリストなどへのWMD拡散防止のための総合的な戦略を発表した。

 2003年5月、ブッシュ大統領は、拡散安全保障イニシアティブ(PSI)を発表した。これは、拡散行動が懸念される国家および非国家との間の輸送途中にある危険な貨物を押収するための世界的な多国間協定である。PSIは阻止制度であり、参加諸国は、外交・情報・作戦面の拡散防止手段を使って、陸海空の拡散を阻止する最良の方法を探索する。

; 米国は、多国間の拡散防止制度およびその他の国際フォーラムの枠内で行動している。2国間においては、米国は、テロリストやその支援国家によるWMDとその運搬手段、関連物質および関連技術の入手を防止するために、より厳しい拡散防止政策・制度、輸出規制の強化、および国境警備の改善を促進している。しかし、ブッシュ大統領の国家戦略に述べられているように、米国の外交努力が成功しなかった場合には、米国はWMDがもたらすあらゆる状況に対する抑止と防衛の準備ができている。


イラン

 イランは2003年も引き続き、最も積極的なテロ支援国家であった。イランのイスラム革命防衛隊および情報省は、テロ行為の計画と支援に関与するとともに、さまざまな集団に目標達成の手段としてテロを利用することを促し続けた。

 アルカイダに対するイランの措置は功罪相なかばしている。タリバン政権の崩壊後、一部のアルカイダ・メンバーはイランに逃亡し、イランを事実上の隠れ家としている。イラン政府当局者は、同国が2003年にアルカイダの幹部を含む工作員を拘束したことを認めている。イランが国連に国外追放者のリストを提出したことは公にされているが、一方でイランは「安全保障」を理由に、イランに拘束されている幹部らの身元を公表することを拒否した。またイランは、拘束されているアルカイダ・メンバーの尋問および審理のために、彼らの身柄をそれぞれ出身国または第3国へ引き渡すことを求める要請にも抵抗している。

 2003年にもイラン政府は、言葉の上でも行動面でも、反イスラエル活動を奨励する上で顕著な役割を果たした。最高指導者ハメネイ師は、パレスチナ抵抗運動を称賛し、ハタミ大統領は、「虐げられたパレスチナの人々」とその闘争に対するイランの支持を繰り返し表明している。こうした言葉を裏打ちする行動として、イランは、レバノンのヒズボラやパレスチナの対イスラエル強硬派、特にハマスやイスラム聖戦、そしてパレスチナ解放人民戦線総司令部派に、資金、隠れ家、訓練、および武器を提供した。2003年8月、イランはパレスチナのインティファーダに関する会議を主催し、その席上であるイラン政府当局者は、パレスチナの抵抗が成功を続けるか否かは自爆作戦にかかっている、と述べた。

 イランはイラクにおいて、自国の利益になると考える状況を確保するためのさまざまな方針を追求したが、その中には、連合軍の利害と相反するものもあった。イランは、イラク統治評議会に対する支持を表明しており、イラクの復興を支援することを約束している。

 フセイン政権の崩壊後間もなく、革命防衛軍とつながりのある個人らがイラク南部に潜入しようとした可能性があり、またイラン政府職員の中には、アンサール・アルイスラムのメンバーの移動とイランでの隠れ家探しに手を貸した者もいた。5月にテヘランで行われた金曜礼拝で、護憲評議会のアヤトラ・アーマド・ジャンナティ師は、イラク国民がパレスチナ人の例にならって、連合軍に対する自爆作戦を実行することを公に奨励した。

 イランは、12の国際テロ防止関連条約・議定書のうち5つの締約国である。


イラク

 (:イラクの自由作戦中に起こった攻撃の大半は、戦闘員、すなわち任務遂行中の米軍および連合軍に対する攻撃であるため、従来の米国の定義による「国際テロ」には該当しない。民間人に対する攻撃、および非武装または非番の軍事要員に対する攻撃は、テロ攻撃と見なされる。)

 2003年5月7日、ブッシュ大統領は、テロ支援国家に適用されるすべての制裁措置を、イラクに関しては一時停止した。その結果、イラクは事実上、非テロ支援国家と同等になった。理論上、イラクは現在もテロ支援国家指定国であるが、イラクが法的な要件を満たしたと国務長官が判断すれば、同国は指定国リストから除外される可能性がある。その要件のひとつは、今後テロ行為を支援しないことを誓約する政府が確立されることである。 

 2003年には、イラクの自由作戦によって、サダム・フセインとそのバース党政権が倒され、イラクが解放された。しかしながら、その後イラクは、テロとの国際的な戦いの中心的な戦地となっている。連合軍に対する攻撃を指揮してきた旧政権分子が、外国人兵士や、アンサール・アルイスラム、アルカイダ、およびアブ・ムサブ・アルザルカウィなどとつながりのあるイスラム教過激派と戦術的・作戦的に手を組む例が増えている。民間人を標的とする攻撃が増えるに従い、反乱とテロの区別がますます不明確になっている。年末までに、連合軍は300人を超える外国人兵士容疑者を拘束した。 

 アルカイダとつながりのある過激派が、自動車爆弾による自爆攻撃数件の犯行声明を出した。これには、10月の国際赤十字委員会バグダッド事務所およびバグダッドの警察署3カ所、ならびに11月のナシリヤにおけるイタリア警察軍司令部に対する攻撃などがある。アルカイダの同胞であり、アンサール・アルイスラムと協力しているとされるアブ・ムサブ・アルザルカウィが、死者を出した8月の在バグダッド・ヨルダン大使館爆破事件の有力な容疑者として浮上している。 

 イラク北部にあるアンサール・アルイスラムの基地が、3月下旬に連合軍の爆撃で破壊された後、アンサール・アルイスラムのメンバーは国境を越えてイランに逃亡し、体勢を立て直した。テロ対策活動から判明したところによると、彼らの多くがその後イラクに再入国し、反連合軍活動に積極的に参加しているようである。9月には、アンサール・アルイスラムのメンバーとされる容疑者らが、1200キログラムのTNTを所持し、キルクークで逮捕された。 

 11月には、連合軍がバグダッドでテロリストの隠れ家を急襲し、アンサール・アルイスラムの幹部2人を逮捕した。2人の身元は判明していない。

 イラクにはその他のテロ組織も存続している。フセイン政権から軍事援助を受けていた外国テロ組織ムジャヒディン・ハルクのメンバーは、武器を剥奪され、米軍に拘置されている。秋にクルド人民会議(KHK)と改称した、テロ組織のクルド自由民主会議(KADEK) は、引き続き非暴力の確約を宣言する一方で、トルコ国内の標的に対して数回にわたる攻撃を実行した。KHKのメンバー数千人がイラク北部に存在することは、この組織がテロ作戦の実行能力を持つことを示している。KHKは、トルコに対する攻撃を増すと、時々脅迫している。 

 イラクは、12の国際テロ防止関連条約・議定書のうち8つに署名し、5つの締約国である。


北朝鮮

 朝鮮民主主義人民共和国(北朝鮮)が、1987年の大韓航空機爆破事件以降にテロ行為を支援したとの記録はない。

 9月11日同時多発テロ事件の後、北朝鮮政府は、テロの問題を「人民の保護」の問題であるとし、また2000年10月の国際テロに反対する米朝共同声明の内容を繰り返すことによって、テロに対する新たな姿勢の土台を築き始めた。また同国政府は、訪朝した欧州連合代表団に対して、テロ資金供与および人質誘拐に反対する国際条約に署名する計画であること、そしてその他のテロ対策協定への加盟も検討していることを伝えた。 

 金正日国家防衛委員会委員長は、2002年9月に平壌で行われた、日本の小泉首相との首脳会談で、北朝鮮の「特殊機関」が日本人の拉致に関わったことを認め、その責任者はすでに処罰された、と述べた。北朝鮮政府は、拉致被害者のうち5人の生存者を日本へ帰国させており、北朝鮮に残っている彼らの家族の日本帰国をめぐって日本政府と交渉を行っている。また北朝鮮は、1970年の航空機ハイジャック事件に関与した日本赤軍のメンバー数人に隠れ家を提供した問題に関しても解決を試みており、ハイジャック犯の家族数人を日本へ帰還させた。

 北朝鮮政府は、国際テロ防止関連条約・議定書のうち6つの締約国であるが、国際テロとの戦いに協力するための実質的な措置は取っていない。


テロ支援国家(「付録D:米国の各種制度と政策」より抜粋)

 国務長官は、「国際テロ行為に対する支援を続ける」外国政府を、テロ支援国家に指定する権限を有する。米国の法律は、テロ支援国家指定国には各種の制裁措置を適用することを義務付けている。数々の米国の法律および制裁措置が、テロ支援国家指定国である外国に適用される。制裁措置には、次の4種類がある -- 武器関連の輸出・売却の禁止、軍民両用品目の輸出制限、米国政府が多国間銀行の融資に反対することを義務付けるなど米国政府による血的な経済援助の禁止(人道的援助は除く)、および貿易その他の各種の制約(輸入禁止、テロ活動に従事した外国政府当局者の米国の裁判所における責任など)。

 テロ支援国家に指定された国は、テロ支援国家と特定の交易を行う個人または国を罰する、その他の制裁法の対象ともなる。現在、テロ支援国家として指定されているのは、キューバ、イラン、イラク、リビア、北朝鮮、スーダン、およびシリアの7カ国である。(イラクは、引き続きテロ支援国家リストに載っているが、イラクに対する制裁措置は一時停止されている。テロ行為を支援しないことを誓約する政府が確立すれば、イラクはこのリストから除外される可能性がある。) 


付録E:2003年の米軍による対テロ作戦の概要

イラクの自由作戦

 2003年3月19日、米国および連合軍は、「イラクの自由作戦」を開始した。同作戦によって、イラク国民は悪らつな独裁者から解放され、アルカイダの訓練が行われたサルマン・パク訓練基地が閉鎖され、イラク北東部に毒物・爆発物訓練基地を設置していたアブ・ムサブ・アルザルカウィのネットワークが分断された。イラクの自由作戦は、攻撃的なイラク政権と大量破壊兵器の能力およびテロリストが結びついて国際社会に与える脅威の可能性を排除した。イラクは現在、国際的なテロとの戦いの最前線となっている。 

 大規模な戦闘活動の終了後、33カ国から成る連合軍は、イラク安定化のための作戦に従事しており、その対象は主として旧政権の支持者、アンサール・アルイスラムの残党、および多数の外国人テロリストである。こうした抵抗勢力が、8月19日のバグダッドの国連事務所爆破事件、11月12日のナシリヤにおけるイタリア警察軍司令部に対する攻撃、そして12月27日のカルバラにおけるブルガリア軍とタイ軍に対する組織的な攻撃、などを実行してきた。旧政権支持者と外国人テロリストは、特に簡易爆発装置を使った自動車爆弾など、新たな戦術で連合軍に対する攻撃を継続する能力があることを証明している。連合軍は、こうした抵抗に対する攻撃を続けており、12月13日には、「赤い夜明け作戦」で、イラクの元独裁者サダム・フセインを捕らえた。2003年末までに、連合軍は、フセイン旧政権の最重要指名手配者55人のうち42人を、殺害、捕獲、または拘束した。

 連合軍はイラクで、警察、イラク民間防衛隊、国境警察、イラク施設警護隊、および新イラク軍など、同国の新たな治安組織に訓練と設備提供を行っている。連合軍の目標は、イラクの治安組織の人員をおよそ22万5000人まで増やすことである。2004年に連合軍暫定当局からイラク移行国民議会へ統治権限が委譲されれば、イラクの安定と統一、そして外国人テロリストのイラク国内での活動の阻止に、同国の治安組織が果たす役割が増大する。 

不朽の自由作戦

 米軍は2003年を通じて、アフガニスタン南部の山岳地帯で、アルカイダのテロリスト、反連合の民兵、およびタリバン反乱分子に対する軍事行動を続けた。アフガニスタンの治安部隊、民間の指導者、および国際救援隊員を標的とする反政府活動が、引き続きアフガニスタン南部の情勢を不安定にしている。こうした攻撃の結果、国連は2003年に、同国南部のヘルマンド、ウルズガン、カンダハル、およびザボルの各州における活動を停止した。攻撃の頻度は年間を通じて徐々に高まり、9月および11月初めにピークに達した後、冬の到来とともに漸減した。

 こうした状況にもかかわらず、アフガニスタンは、25年間に及ぶ内乱とタリバンの悪政からの回復を、緩やかであるが、着実に実現しつつある。12月には、新憲法案を討議するために、全国各地からのメンバー502人(うち100人は女性)から成るロヤジルガ(国民大会議)が開催された。反政府勢力が会議を妨害しようとしたが、ロヤジルガは成功裏に終了し、国連により義務付けられた選挙の2004年6月の実施への道を開いた。

 ハミド・カルザイ大統領は、年間を通じて、非協力的な各州知事や治安責任者らを交代させ、関税や税金の徴収を中央化する作業を続けた。2003年も、世界中からアフガニスタンへ援助が流入し、何百もの診療所や学校、そして何百キロメートルものかんがい設備を完成させるための資金となった。2004会計年度の米国による援助は20億ドルを超える見込みであり、これはどの国よりも多い単独の誓約額である。 

 2003年8月に北大西洋条約機構(NATO)が正式に国際治安支援部隊(ISAF)の指揮権を与えられ、計画または配備された地方復興チーム(PRT)の数は13に増えた。この中には2004年初めに活動を開始する新しいPRTも含まれる。ドイツの大規模なPRTがコンドゥスでの活動を引き継ぎ、英国とニュージーランドがそれぞれマザリシャリフとバーミヤンのPRTを主導した。PRTは、復興活動と地域の治安回復を促進する存在として効果を上げている。アフガニスタン警察の訓練は加速的に進んでいるが、新たなアフガニスタン国軍確立の作業は、兵士の募集と維持の問題に妨げられている。2003年末時点で、およそ5600人の男性が、アフガニスタン国軍の兵役につく準備ができていた。これにはT-62戦車大隊が含まれている。 

 アフガニスタンには現在も治安上の難題が残っている。タリバンは、パキスタン国内でパシュトゥン族が優位を占め、おおむね自治区となっている連邦直轄部族地域を避難所として2003年に体制を立て直し、南部パシュトゥン族の住む辺ぴな地域で典型的な反乱行動を起こすとともに、一族や家族のつながりと、プロパガンダ、暴力、威嚇といった手段を利用して、ザボルおよびウルズガン両州のいくつかの地域に足場を維持した。アフガニスタンに隣接するパキスタンのバルチスタン州と北西辺境州では、2003年の議会選挙で、タリバンを公然と支持する過激派イスラム教政党が大勝した。これは、タリバンおよびその他の反政府分子を除去する対反乱活動が長引くことを示唆している。 


テロ資金対策制度の構築(「付録F:経済面でテロと戦う」より抜粋)

 米国は現在も、テロ組織への資金源を断ち切り、資金洗浄を防止することによって、テロリストに対する攻撃的行動を取ることを確約している。

 テロ資金供与および資金洗浄の多くは米国外で行われるため、世界各国がこうした問題と戦う能力を持つことが極めて重要である。各国政府のテロ対策体勢強化を支援する分野での米国の指導力は、世界的規模のテロとの戦いを強化している。

 国務省が議長を務める省庁横断的なテロ資金対策作業部会(TFWG)は、意欲的なパートナー諸国の能力増強のための各種プログラムを通じてテロ資金供与と戦う取り組みを、大きく前進させている。TFWGは、発足以来、最もテロ資金供与の影響を受けやすいとされる19カ国のうち16カ国の正式な評価を行い、中東、南アジア、東南アジア、および中南米の諸国に、訓練と技術援助を行ってきた。

 国務省は、財務省、司法省、および国土安全保障省とともに、同盟諸国のテロ資金対策および資金洗浄対策を強化するために、司法、金融規制、金融情報、および法執行の各分野で、順序立てられた一連の訓練制度を開発し実施してきた。

 米国の上記各政府機関を代表するメンバーがチームを構成し、その主な目的は、世界各地でテロリストに流れている資金を発見、凍結、および押収するために「資金を追跡する」方法を、諸外国に教えることである。

 このチームは、テロ資金供与と戦う意志はあるが政府担当官がそのために必要な手段を持たず訓練を受けていない国を対象に、その能力増強を目指す。国務省テロ対策調整官が、招へい国政府の要請を受けて、この多省庁チームを派遣する。チームは派遣先の国内で、現地政府担当官と協力して、法制度、法執行制度、および金融制度を強化し、テロ資金供与を発見し中断させる技術を担当官に提供する。

 そうした多省庁チーム中で、テロ対策調整官室のメンバーが率いるチームが、2003年3月、フィリピンのアロヨ大統領の要請で技術援助のためマニラへ派遣された。このチームは、フィリピン政府が資金洗浄防止法を修正し国際的基準を満たす法律とするための作業を支援した。その結果、テロとの戦いにおける主要同盟国である同国に対する国際制裁措置が取られずにすんだ。このチームは、同年9月にも、同様の目的でインドネシアへ派遣され、同国の資金洗浄防止法の強化を支援した。いずれの場合も、法律の改善がテロ資金供与の抑制に貢献するはずである。

 また米国は、テロとの戦いにおける同盟諸国に、テロ資金対策や資金洗浄対策に関する訓練も提供している。例えば2003年3月ワシントンで、米国の連邦金融機関規制担当官が、サウジアラビア、パキスタン、アラブ首長国連邦、カタール、およびクウェートの中央銀行当局者および規制担当官に対し、テロリストが活動資金調達手段としてよく使う不審な取引を監視する訓練を行った。7月には、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイ、ベネズエラ、およびパナマの銀行規制担当官が、パナマで行われた同様の訓練に参加した。また10月には、第3回の訓練がハワイで行われ、インドネシア、マレーシア、フィリピン、およびタイの銀行当局者が参加した。

 これらは、いずれも「訓練要員養成」方式によるもので、米国の銀行規制担当官が、9・11後の銀行業務環境で実際に「学んだ教訓」に基づき、自らの識見や体験を世界の銀行業界の同僚に伝える、という形で行われた。訓練を終了した参加者は、その知識と技能を、母国で伝えていく。

 訓練および技術援助制度の実施を通じて、テロ対策調整官室は、テロ資金供与阻止の防衛の最前線となる専門家による世界的組織を構築することを目指している。


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