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生き続ける記憶 テロリズムの犠牲者たち まえがき世界で相次ぐテロ事件は、人々に衝撃を与えるだけでなく、時とともに感覚をまひさせる。したがって、われわれが、死者数、被害規模、政府や治安部隊の対応といった抽象化されたニュースの内容に逃げ込む傾向があるのも理解に難くない。しかし、こうしたニュースの1つ1つには、顔のある人間が関わっている。 テロが邪悪であるのは、それが人間の生命を侮辱し、われわれが共有する文明の普遍的な価値観を侮辱するからである。このようにテロリズムを絶対的に糾弾することは、歴史の複雑性や、テロが発生する個別の政治的背景を無視することを意味するものではない。また、テロリストが乗ずる不平等や抑圧を軽視することでもない。それが意味するのは、苦悩と貧困と不平等が世界中にあるからといってテロ行為を許すことは、断じてしない、ということである。 テロリストが主張するテロの根本原因に共感するならば、なおさらテロ行為を否定し、テロの根絶を目指さなければならない。ある専門家が書いているように、テロは、「実行犯が誰であるか、またはその動機のありようではなく、行為の特性により」定義されるべきである。 またテロリストは、女性や子どもを含め、彼らが代表すると主張する人々を、現実あるいは想像上の敵よりはるかに多く抑圧し殺害することになる。 ここに紹介された物語や人物像は、包括的なものではなく、また現在世界中の国々が共通して直面するテロの脅威の規模や全容を示そうとするものでもない。「生き続ける記憶」は、今日のニュースの裏に隠れた個人の物語を記録し、自ら語ることができなくなった犠牲者に代わり、家族や遺族に語ってもらう試みである。 第1部「死者に代わって語る」では、テロリストに殺害された人々の物語、そしてテロに遭遇し、生き延びた人々の話を紹介する。そのほとんどには、世界各国におけるテロ活動に関して米国国務省が連邦議会に毎年提出する「国際テロ年次報告書」の最新版に基づく情報が付記されている。 第2部「生存者の遺産」では、テロの後遺症の克服を目指す遺族を支援したり、暴力のない世界の実現や犠牲者の思い出を残す取り組みに従事する個人や組織を紹介する。 物語の舞台は、ケニアからトルコ、コロンビアからパキスタンまでさまざまであるが、どの話にも一貫して存在するのは、人間という要素である。われわれは彼らの顔と声、希望と夢を決して忘れてはならない。 コリン・パウエル国務長官が述べたように、「この世界的なテロとの戦いで、傍観者のままでいられる国はない。傍観者という立場は存在しない。テロリストは地理的・道義的制約を設けない。戦いの前線はいたるところにあり、しかも関わる利害は大きい。テロは人を殺すだけでなく、民主制度を脅かし、経済を弱体化し、地域の安定を揺るがす」。 |