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*以下は、2004年7月8日付読売新聞朝刊に掲載された記事を、読売新聞社の許可を得て転載したものです。(読売新聞のウェブサイト「Yomiuri On Line」に掲載された記事へのリンク

中曽根・ベーカー対談

 参院選投票日まであと3日。日本だけではなく、世界でも指導者のあり方が厳しく問われている。冷戦終結の立役者となったロナルド・レーガン元米大統領が亡くなったのは1か月前のこと。レーガン氏のリーダーシップから、指導者はどうあるべきか、さらに今後の日米関係などについて中曽根元首相とハワード・ベーカー米駐日大使に語ってもらった。(司会は橋本五郎・読売新聞東京本社編集委員、東京・内幸町の日本記者クラブで)


同じ目的持つ“同志”


中曽根 康弘氏 86

 1947年、衆院初当選(旧群馬3区)。自民党幹事長、行政管理庁長官などを経て82年11月から87年11月まで首相。著書に「政治と人生」「自省録」など。


日米 「良き友人」 に


ハワード・H・ベーカー氏 78

 テネシー州出身。上院議員を経て87年2月から88年7月までレーガン大統領の首席補佐官。2001年7月、駐日大使に着任。写真家としても知られる。


 ――現代は指導者受難の時代とも言われる。グローバル化とともにナショナリズムが強固になり、国家の運営は非常に難しい。そういう時代に、非常に敬愛され、惜しまれながら亡くなったレーガン氏の指導力をどう考えるか。

 中曽根氏 レーガンさんは、国葬(6月11日)の際にもリーダーシップを発揮した。遺言に、湿っぽくやらないで朗らかにやろうと、夕日の沈む時にレーガン記念図書館の敷地の一角に埋めてくれと。人生観がよく出ていた。偉大な、戦闘的ロマンチストだ。

 レーガンさんは明確に目標を決めて自分の決意を国民にはっきり示しておく。例えば共産ソ連を「悪の帝国」と呼んだことだ。国民と認識を共有し、仲間を作っていった。「偉大なるコミュニケーター(語り手)」と言われるゆえんだと思う。

 政治家にとって何より大事なのは、人間的魅力だ。魅力がなければ、信頼感も高まらない。

 レーガンさんには非常に大きな人格、やわらかさと愛情を感じた。人材の活用もうまかった。ジョージ・シュルツ氏(国務長官)、ジェームズ・ベーカー氏(初代首席補佐官)、キャスパー・ワインバーガー氏(国防長官)らだ。「レーガンさんに信頼されている」という気持ちで彼らは動いたのではないか。

 政治は感動、情熱を離れてはありえない。指導者がそれを持ち、戦略的に政治を展開すれば、必ず多くの民衆が味方になる。

 ――大使は、レーガン政権で共和党の院内総務を務め、その後、首席補佐官にもなった。レーガン氏に身近で接して、どう感じたか。

 ベーカー氏 大統領のことが本当にわかったのは首席補佐官になって毎朝9時に2人だけで会い、1日中行動をともにするようになってからだ。知れば知るほど大統領を尊敬するようになった。彼は偉大な大統領としての三つの要件を満たしていた。

 第1に、自分が大統領であることをしっかりと認識し、その役割を果たす気迫に満ちていた。

 第2に、信条が明確だった。彼は保守的だったが、人権や不平等の問題には敏感だった。

 第3に、自分のやりたいことがわかっていた。どんな賢い人でも、全部はできない。だから、自分のできることに焦点をあわせた。税金を減らし、規制を緩和し、軍隊を強化しなければならない。それが個人と経済の力を解放させ、そして人間の精神を闊達(かつたつ)にするために必要だということだった。

 ――中曽根氏とレーガン氏の関係は「ロン・ヤス関係」と呼ばれた。それ以前も以後にも愛称で呼び合った例はない。

 中曽根氏 想像するに、レーガンさんは私を「一緒にソ連を崩壊させる仲間」にしようという明確な意思を持っていた。

 1983年の初訪米時に、日米首脳会談の日の朝、大統領側からホワイトハウスの家族用の食堂で朝食を共にしようと提案があった。過去にこの席に招かれたのはサッチャーさん(英首相)しかいなかった。食事後、大統領が「ヤスと呼んでいいか」と言うから、こちらもうれしくなって「私もロンと呼ぶよ」と応じたわけだ。

 その前日、副大統領晩さん会で、私が「二女の交換留学した先の家族と、交流が20年続いている。日米関係も友情と信頼で築きたい」とあいさつしたこともファーストネームで呼び合うようになった背景にある。

 ベーカー氏 ロン・ヤスの関係を米国民は興味深く感じ、素晴らしいなと思った。つい最近まで戦争をし、文化的にも全く異なる日米がこれほど良い友人になれるとは、奇跡のように思われた。よく「日米は偉大な同盟国だ」と言われるが、それよりも日米が「良き友人」でいられることが重要だと考える。単に個人的な関係を作るというのではなく、当時の日米関係を象徴するものであり、今もそれが続いている。

 ――トップ同士が特別の関係にあることは国際関係にも相当な影響力を与えると思うが。

 中曽根氏 83年5月のウィリアムズバーグ・サミットでは、共同声明にミッテラン大統領がなかなか賛同しなかった。レーガンさんやサッチャーさんの説得も効果が上がらなかった。そこで最後に私が「我々がここに集まっているのはソ連共産主義を崩壊させるためで、会議がつぶれたら喜ぶのはソ連だ」と説得した。決裂を回避することができた。そういう実績があったから、レーガンさんは私を信用し、便宜も図ってくれた。

 私が首相当時、日本の工作機械がどんどん米国へ輸出された。業界の求めで輸入停止措置の発動が閣議で論議になったが、レーガンさんが「ヤスが迷惑するからやめたほうがいい」と引っ込めさせたんだ。

 自分には損でも相手を助けようという気持ちを首脳間で持てることが真の同盟関係だ。小泉首相とブッシュ大統領も、そこまで前進してほしい。私の外交戦略は、重要な国の首脳と本当に話し合い、もし信頼できる人ならパートナーにとどまらず共通の目的を持つ“同志”になることだった。

 ベーカー氏 首脳間の個人的な関係があったために、問題は有益な形で解決されたと思う。日米関係は今日、以前よりもはるかに良い。貿易問題などの改善は細かい交渉の結果というより、ロン・ヤス関係により築かれた2国間の友情のおかげと思っている。一つのパターン(型)ができた。

自衛隊派遣は国益 ベーカー氏
韓国の現状を憂慮 中曽根氏 

 ――イラク戦争を日本は支持し、復興支援で自衛隊を派遣した。日米とも北朝鮮問題をはじめ、多くの懸案を抱えている。今後の日米関係をどう考えるか。

 ベーカー氏 日米関係は良好だ。日本はイラクへ自衛隊を派遣したが、それは日本のためにいいことであったからだ。日米の友情関係に基づくものではない。もちろん、米国は評価したが、日本の国益のために自衛隊は送られたのだ。

 私たちは日本が平和憲法を持っていることをよくわかっている。自衛隊に制約があることを十分承知している。しかし、世界は日本をスーパーパワー(超大国)だと認識している。日本は偉大な国家として責任を持ち始めている。ゴラン高原、東ティモールへの平和維持活動(PKO)派遣は大国としての役割だ。イラクへの自衛隊派遣も同じ流れだと思う。

 日本にとって最大の脅威は北朝鮮ではない。1番大きな課題は日本の対中国政策だ。中国は巨大な経済力と軍事力を持ち、大きく伸びようとしている。日中が友好関係を築くことは太平洋にとどまらず、世界全体にとって重要だ。

 中曽根氏 日中関係は中長期的な問題だが、当面、韓国も心配だ。盧武鉉(ノムヒョン)政権はこれまでの「太平洋国家」路線よりも「東北アジアの中心国家」を志向している感じがする。北朝鮮との統一融合という考えが非常に強い。それ自体は悪くはない。だが、北朝鮮は今、軍事政権の性格を強くし、韓国の動きに呼応できる実態もない。韓国は米国、日本に対する不信感もある。そういう状況を見て、日韓、日米関係を考える必要がある。

 中国は、2008年に北京五輪、2010年に上海万博があり、そこまでは心配ない。が、その先の10年は不透明だ。今後10年でも、インフレ、貧富の格差、失業問題、共産党の腐敗、地域主義の台頭など問題が出てくる危険がある。

 ベーカー氏 日中韓3国が友好関係を築くならば、米国は、高く評価するし、そこへ加わりたいと考えるだろう。

 中国はめざましい経済発展を遂げ、日本は世界第2の経済大国であり、韓国も大きな経済力を持っている。この3国は世界市場だけではなく、アジア地域でもお互い競争状態にある。したがって個人的にコミュニケーションを良くすることが、将来成功する政策への秘けつとなる。新しい関係を築こうとするアジア諸国は、ロン・ヤス時代の日米関係を忘れるべきではない。

 ――「和して同ぜず」という言葉がある。協力はしても、全く同じ行動をとるのではないことを言うが、こうした姿勢が今後の日米関係にも必要ではないか。

 中曽根氏 指導者である政府が、レーガンさんに学んで偉大なコミュニケーターになり、事態を国民によく知らせる、そして同伴者になってもらう。そういう積極的な努力が必要だ。高度情報化時代で1番大事なのは政府が国民各層に情報探知のネットを持ち、そこから上がる情報をスピーディーに消化し、反応することだ。内閣全体で大きく改革してやってもらわないといけない。

 ベーカー氏 中曽根さんには大賛成だ。私はこうも思う。個人だろうが、国家間だろうが、問題が起きたら率直に、正直に対処しなければならない。だれが正しく、だれが間違っているかということは、どんな態度で問題に対処するかという問題に比べればさしたる問題ではない。日米間では、たとえばBSE(牛海綿状脳症=狂牛病)や高度な技術の輸出入など多くの問題で互いを理解し、異なる意見に敬意を払わなければならない。それが日米関係の将来にとって必要だ。日米が自由世界のモデルになると確信している。

 日本は世界第2位の豊かな国であるばかりか議会制民主主義が機能している。国民はよく教育され、実績と進歩があり、他の人々の声に耳を傾ける態度を持っている。米国には、友人や国力を大切にし、個人の力を信じ、民主主義の精神を守る伝統がある。日米にはバラ色の将来が見える。日米は、世界の2国間関係の中でどれよりもうまく、利点を生かして世界の平和と安全保障に寄与する力があると思う。

 中曽根氏 考えが違うことはいくらでもあり得る。それでも大きな目的のためには手を握る。それを国民の前にしっかり見せていくことが必要だ。


 「指導者を偉大ならしめる必須の条件は三つある。偉大な人物、偉大な国家、偉大な機会である」

 司会をしながら、終始頭を離れなかったのは、ニクソン米元大統領の『指導者とは』の一節である。直面する問題の困難さを考えれば、今ほど「偉大な指導者」を欲している時はない。日米の政権の中枢を担い、政治とは何かを知り尽くした2人の指導者論に、現役政治家が奮い立って欲しいと痛切に思う。(橋本)

( 2004年7月8日付  読売新聞 無断転載禁止)

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