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欧州概観

ポーランド

 NATO同盟国としての連帯を強調して、ポーランドは、主要な地域・国際的なパートナーと共にテロ対策の協力拡大で主導的な役割を果たしてきた。11月にクワシニエフスキ大統領は、ワルシャワ・テロ対策会議を主催した。この会議では、行動計画と、地域協力分野を特定し、テロに対する国際的な戦いに貢献する能力を高めるよう地域各国に呼びかける宣言を採択した。ポーランドは、アフガニスタンにおけるタリバンおよびアルカイダに対する軍事行動を強く支持し、米国の中央軍司令部は、ポーランドの特殊部隊派遣の申し入れを受け入れた。ポーランド政府は、テロと戦い、テロ資金の移動を阻止する国内の能力を強化するための重要な措置を講じた。ポーランドの優れた国境管理、高水準の空港警備、法執行問題に関する緊密な協力によって、テロリストがポーランドを通過する可能性は阻止された。

 

スペイン

  9月11日の同時多発テロは、テロに対する国際的な戦いにスペイン政府からの全面的な支援をもたらした。30年にわたってテロ組織「バスク祖国と自由」 (ETA) と戦ってきたスペインは、テロリストの避難地をなくす戦略としての相互援助を擁護し、あらゆる形のテロを打倒するための国際的関心を歓迎している。事件直後、アスナール首相は、スペインは米国と「肩を並べて」テロと戦うと述べ、すべての関係省庁に対して、米国の法執行当局と緊密に協力するよう命じた。スペイン警察は、2つのアルカイダ関連細胞を解体し、9月下旬に6人、11月に8人のメンバーを逮捕した。またスペインは、アフガニスタンでの反テロ連合に軍事支援を提供した。スペインは、2002年上半期のEU議長国としての指導力を利用して、テロ対策分野の協力に対するEUの継続的な支援を促す意向である。

 ブッシュ大統領は6月のスペイン訪問の際、米国は「スペイン政府と緊密に協力し、テロに決して屈することはない」と宣言した。

2001年7月14日にETAの自動車爆弾によって車を爆破され、死亡した保守派のホセ・ハビエル・ムヒカ・アスティビア議員の家族の傍らに立つ、スペインのアスナール首相(右端)
2001年7月14日にETAの自動車爆弾によって車を爆破され、死亡した保守派のホセ・ハビエル・ムヒカ・アスティビア議員の家族の傍らに立つ、スペインのアスナール首相(右端)

 国際的な反テロ連合への支援以上に、スペインにとってのテロ対策分野の優先課題は、依然としてETAとの戦いであった。ETAはバスクの地方選で、その政治部門における国民の支持低下が明らかにされたにもかかわらず、2001年を通じて暴力戦略を継続した。ETAは、夏の作戦ではスペインの観光地を襲うという脅迫を実行に移した。この一連の攻撃は、物的損害が主なもので、マドリードのバラハス国際空港の自動車爆弾攻撃では、多数の車が破壊された。一方、バルセロナ近郊の人気リゾートでの爆破事件では、10人ほどが軽傷を負った。ETAは、政治家、軍人、ジャーナリスト、警察官を狙った従来の攻撃も継続した。3月にはカタルーニャの爆破事件で警察官1人を殺害し、6月にもマドリードの爆破事件でスペイン人の将軍に致命傷を負わせた。バスク地方にあるETAの戦闘司令本部には、7月にバスク人の警察官を殺害した容疑が掛けられている。スペイン政府の公式統計によれば、ETAのテロリストは、2001年に計15人を殺害し、その大半は軍または警備関係者であった。

 スペイン政府は、2001年にさまざまなETA対策を成功させ、10を超える重要なテロリスト細胞を解体し、兵たん基地をいくつか破壊した。10月にはスペイン国家警察が、より小規模な戦闘細胞を組織しつつテロ攻撃を計画していたバスク地方を拠点とするETAの細胞をひとつ解体した。逮捕者のうち2人は、2000年2月のバスク社会労働党幹部の暗殺に関与していた。スペイン警察は、マドリードの空港爆破事件を含め、2001年の数件の自動車爆弾事件に関与した疑いのある細胞のメンバー数人を12月初旬に逮捕した。また、警察は、100ポンド余りの爆発物とさまざまな偽造書類を押収した。

 スペインは、ETAテロに対する戦いを支援する諸国と2国間協定を引き続き締結した。1月には、ETAに共同で対抗するという明確な公約を含む、米国との共同政治宣言に署名した。スペインはまた、ETAメンバーに潜在的な避難場所を提供しないという取り組みの2大パートナーであるフランスとメキシコとも重要な協定を締結した。アスナール首相は、7月のメキシコ訪問の際、テロに関する情報の共有や治安、司法分野の協力を強化する協定をメキシコ政府と締結した。10月初旬には、フランスとスペインは、ETA容疑者の国外引き渡しを容易にし、テロ対策分野の協力を改善する、新たな2国間協定を締結した。この協定に基づいて、ETAの元指導者が1995年のフアン・カルロス国王暗殺未遂の容疑で裁判にかけられるため、一時的にスペインに引き渡された。裁判後、この指導者は、10年の刑期に服すためにフランスに戻され、その後、スペインの裁判所で下される追加の刑期に服すため再びスペインに引き渡される。

 

トルコ

  トルコは、長い間のテロ対策における信頼できる同盟国であり、米国のテロに対する戦いを全面的に支持した。トルコは、基地使用と領空通過権を提供し、現地の軍隊を訓練するためにアフガニスタンに部隊を派遣し、また、国際治安支援部隊にも参加した。国内では、トルコの治安当局は、同国の最も活動的な2つのテロ組織、革命的人民解放党・戦線(DHKP・C)と、レバノンのヒズボラとは無関係なクルド人のイスラム教徒(スンニ派)過激派組織であるトルコ・ヒズボラに大打撃を与えた。警察は、DHKP・Cの100人を超えるメンバーおよび支援者と、トルコ・ヒズボラの数百人のメンバーおよび支援者を逮捕、多数のアジトを捜索し、大量の武器、コンピューターその他の専門機器、さまざまな書類を押収した。

 こうした打撃を受けたにもかかわらず、DHKP・Cは依然、破壊的な攻撃をする能力を維持しており、DHKP・Cとしては初めて自爆テロを実行した。1月3日に、DHKP・Cの工作員1人がイスタンブールの地域警察本部に侵入し、身体に巻き付けてあった爆弾を爆発させた。この事件で犯人と警察官1人が死亡し、7人が負傷した。9月10日のDHKP・Cの2回目の自爆テロでは、イスタンブールの広場の警察ブースが攻撃され、警察官2人が死亡し、オーストラリア人観光客1人が致命傷を負い、20人余りが負傷した。

 トルコ・ヒズボラは、1月24日のディヤルバクル警察のガッファル・オッカン本部長および5人の警察官の暗殺によって、トルコ政府を標的とする初めての攻撃を行った。この攻撃方法は、このグループのそれまでの攻撃よりもはるかに高度なものであった。報道によれば、ディヤルバクル知事室を出発したオッカン本部長の車列を、20人もの工作員から成る4つのチームが待ち伏せ攻撃をした。当局は、現場でおよそ460個の薬きょうを回収した。ヒズボラの工作員は、10月14日にもイスタンブールで3人の警察官を待ち伏せし、2人を殺害し、1人を負傷させた。

 チェチェンの分離独立派およびそのシンパも、トルコをテロ攻撃の拠点として利用した。4月22日には、1996年にトルコ発のロシアのフェリーを乗っ取った罪で4年未満の懲役刑に服したことのある、チェチェン系トルコ人、モハメド・トッカン率いる13人の親チェチェン派の武装犯がイスタンブールの高級ホテルを占拠し、米国人37人を含む約150人の宿泊客を12時間人質にとった。最終的に投降した武装犯は、チェチェンにおけるロシアの活動に世界の関心を集めたかったと述べた。トルコの裁判制度は、親チェチェン派のテロリストには比較的寛大である。トッカンのグループによるホテル占拠事件を取り扱った国家安全保障裁判所は、トルコの厳しいテロ対策法に基づくのではなく、武器所有や自由剥奪などのより軽い犯罪容疑で犯人達を裁いた。

 これとは別に、3月15日に、3人のチェチェン人が、ロシア人が大半を占める175人の乗客を乗せたイスタンブール発モスクワ行きのロシアのチャーター便をハイジャックした。同機は燃料不足のためにサウジアラビアのメディナに着陸した。サウジアラビア当局は、犯人達と1晩交渉した後、特殊部隊が突入し、独立派の犯人2人を逮捕した。突入の際、残りの犯人1人と乗員1人そして乗客1人が死亡した。

 クルド労働者党(PKK)は、服役中のアブドラ・オジャラン党首によって1999年8月に開始された「和平イニシアティブ」を引き続き推進し、西欧での広報活動に主に力を入れた。指導部は、2001年初めに、セルヒルダン(蜂起)と呼ばれる和平イニシアチブの第2段階の開始を発表した。セルヒダンという言葉が通常は暴力活動を暗示するが、PKKは、この言葉を市民的反抗の意味で使っている。セルヒルダンでは、PKKメンバーは、クルド人としてのアイデンティティーおよびPKKへの関与を公然と宣言し、請願書に署名し、トルコにおける少数民族クルド人の権利改善を求めてデモを行う。PKKは、年末頃にトルコでセルヒルダン活動を開始し、当局はこれに参加したPKKメンバー数人を逮捕した。

 

英国

 英国は、9月11日以降の国際的な反テロ連合で米国の最も緊密なパートナーである。英国は、アフガニスタンにおけるアルカイダおよびタリバンに対する戦いの軍事的負担を進んで分担した。英国は、10月7日に開始された米国主導の不朽の自由作戦に貢献する英国の「真理作戦」 に4000人を超える英国人を配属した。タリバンとアルカイダに対する戦いには、英国の重要な陸・海・空軍および特殊部隊が参加した。また英国は、アフガニスタンの暫定政権がカブールの治安と安定を回復させることを支援するために、国際治安支援部隊を主導している。

首相官邸でのスピーチで、アフガニスタンで活動する英国軍に謝意を表すトニー・ブレア首相。英国は9月11日以降の対テロ国際連合における米国の緊密なパートナーである
首相官邸でのスピーチで、アフガニスタンで活動する英国軍に謝意を表すトニー・ブレア首相。英国は9月11日以降の対テロ国際連合における米国の緊密なパートナーである

 国内では、英国は、外国人テロリストに関係した疑いのある10人を拘留し、テロ活動への関連を示唆する情報に基づいて、その他の人物に対する監視を強化した。年末には、米国内または米国市民に対するテロ行為の容疑が掛けられた4人を拘留し、米国への引渡しを支援した。テロの定義を拡大し国内活動だけでなく国際活動も含めると、2000年テロリズム法に従い、英国政府は、2001年2月にアルカイダを含む21の国際テロ組織を禁止組織リストに追加した。議会は12月半ばに、テロとの戦いにおいて追加的な手段を当局に提供する反テロ・治安・犯罪法を可決した。この新法は、英国法では国外移送できない外国人のテロ容疑者の拘留期間を、6カ月毎に更新可能とする法的権限を政府に与えるものである。また、空港警備の強化、治安当局の航空およびフェリー乗客名簿への完全なアクセス、外国人保護規則の厳格化、外国人組織による大量破壊兵器の入手を手助ける行為を処罰することなどが規定されている。

 英国は、テロ組織の疑いがある団体への資金の流れを絶つために、米国および国連と協力してきた。2001年後半の時点で、英国当局は、テロリストのものと思われる7000万ポンド (1億ドル)を上回る資産を凍結している。テロ対策法案では、金融機関に対して、疑わしい取引の通報が義務づけられており、違反すると刑罰が科せられる。

 国内テロに終止符を打つための進行中の取り組みとして、英国および北アイルランド和平プロセスの当事者は、「聖金曜日合意」の条件の履行に向け前進した。10月にアイルランド共和国軍 (IRA) は、公開されていない量の武器および弾薬を「使用不能」の状態にした。IRA反対派で分派組織である「真のIRA」 (RIRA) と「継続IRA 」(CIRA) は、この措置を非難し、不満を抱くIRAメンバーにRIRAおよびCIRAへの参加を呼びかけた。統計資料によれば、北アイルランドにおけるテロ死亡者数は、2000年が18人、2001年が17人とほぼ一定している。2001年、英国本土で激しさを増した爆破事件はRIRAの犯行と英国当局は見ているが、その中には、BBCのロンドン本社付近 (3月)、ロンドン北部 (4月)、ロンドン西部 (8月)、バーミンガム (11月) の爆弾事件がある。また2001年には、主にベルファスト北部のカトリック系住民の住宅に対するパイプ爆弾攻撃による、英国帰属支持派の準軍事的暴力活動も増大した。さらに、秋に12週間にわたってベルファスト北部のカトリック系学校の付近に住むプロテスタント系住民が、大規模に宣伝された抗議行動を行ったが、それはときおり暴力により妨害された。

 ブッシュ大統領が、3月、英国政府とアイルランド政府を、「両国政府が有益と考えるあらゆる方法」で支援する準備ができていると述べるなど、米国は引き続き、北アイルランドの和平プロセスを支援している。米国政府は、3月にRIRAを外国テロ組織に指定し、9月11日の事件後、CIRA、オレンジ義勇軍およびレッドハンド・ディフェンダーをテロリスト入国拒否リストに記載し、これら組織のメンバーの米国入国を禁止した。2001年後半、コロンビア政府は、麻薬の密売に関与し、米国の外国テロ組織リストにも記載されているマルクス主義ゲリラ組織のコロンビア革命軍(FARC)の反政府活動家を訓練した容疑で、IRAにつながりのある3人を拘留した。米国の政府当局者は、IRAとFARCの関係に不快感を抱いていることを明らかにし、両組織間のあらゆる進行中または将来の協力を容認しないと述べた。

 

ユーゴスラビア・コソボ

 ユーゴスラビアは、9月11日の事件直後に、テロと戦う国際的な取り組みを支援すると発表した。すでに6件の国連テロ対策条約の締結国であったユーゴスラビアは、年末までにテロ資金に関する条約を締結し、近い将来さらに4件を締結する意向だと報じられている。またユーゴスラビアは、テロ関連活動に関与した組織に経済的制裁を科すための措置を講じる計画を作った。ユーゴスラビア当局は、10月下旬にセルビアを通過中の32人のアフガニスタン人をはじめ、11月と12月に、数人のアラブ系容疑者を逮捕し拘留した。

 コソボで権限を持ち、国際的な民間・治安の主体である国連とNATOは、テロと戦う国際的な取り組みを強く支持してきた。国連は、テロ容疑者の特定と逮捕を容易にする新規則を公布し、コソボの国境警備を改善した。NATOは、国境管理およびテロと関係がある可能性のある組織の監視を強化した。コソボの政治指導者は、国際的なテロに対する戦いを強く支持すると表明した。

 テロ活動を支援する組織と特定された各種NGOが、コソボには存在し続けた。少人数の外国人イスラム過激派と数十人の国内過激派によって構成されるこれらのNGOは、コソボの穏健なイスラム教徒たちからは幅広い支持を得ていない。12月にNATO軍は、テロ組織と関係している疑いのあるコソボのNGOである国際救済基金の捜査を実施した。

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