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ハワード・H・ベーカー駐日大使の講演

2001年10月5日

日本記者クラブ、東京

 ご紹介に感謝申し上げる。ご説明いただいた私の経歴の中で何か問題があるとすれば、その責任はすべて私にある。

 私は、報道関係者の皆さんとお会いするのを、常に楽しみにしている。長年の公職生活を通じてそうした機会に数多く恵まれてきた私は、皆さんが得るもの以上に、私が皆さんから得るものが多いということ知っている。なぜなら、そのような交流を通じて、ジャーナリストの目から見た政治や公共政策についての考えを、深く学ぶことができるからである。したがって、本日ここで、卓越したジャーナリストである皆さんと意見を交換し、日米の関係や協力について考察する機会を得たことを光栄に思う。

 スピーチを始めるにあたって、まず、私は、日本国民や日本政府にアドバイスをするためにここに来たのではないということを申し上げたい。私が今日ここに来たのは、次の2点を確認するためである。第1に、日本は、世界の中でも偉大な主権国家である。第2に、日本と米国は、友好国であるのみならず同盟国である。私の前任者の一人である、マイク・マンスフィールド元駐日大使が、折に触れて述べたように、「日米関係は世界で最も重要な2国間関係である。それは他に類を見ない(bar none)」のである。「bar none」をどのように訳すのであろうと思っていたが、これは、昔のアメリカ西部の表現で、これ以上重要なものはないという意味である。確かにその通りである。特に、テロリズムという新たな敵に対峙する今日、日米関係はますます重要になってくる。

 日米のパートナーシップとはいかに卓越したものであろうか。60年前、日米は太平洋を挟んで悲惨な戦いをしていた。そして、50年前、そうした敵対関係を終結させる平和条約に署名した。世界の歴史を見ても、あれほど激しく対立していた2国が、戦後の日米のように、深く永続的で、しかも双方に有益な友好関係を、かくも迅速に作り上げてきた例はまれである。1945年当時、若き海軍少尉であった私には、日米が、友好関係を、ましてや共同の防衛をはかり、世界平和と安定に貢献する同盟関係を築くとは、全く想像すらできなかった。それは、両国の偉大な指導者たちだけでなく、おそらくそれ以上に、両国民の精神、情熱、特質によるところが大きい。

 日米は同盟国であり、それは紛れもない真実である。そしてそれは、私にとっは、両国が友好国であること以上に重要である。私は、長年にわたって何度も日本を訪れてきたが、駐日大使として着任してはじめて、この偉大な国の文化の真髄に触れ、日本の文化、人々、そしてこの国の未来についてより深く理解できるようになった気がする。私は、そのような機会を得たことを感謝するとともに、日米の友好と協力を一層拡大するために、米国を代弁し、日本の意見に耳を傾け理解し、それを米国政府に正確にしかも確実に伝達するために最大限の努力をするつもりである。

 大使として着任後まもなく、私は、サンフランシスコ平和条約調印50周年という日米関係の重要な節目を記念する式典に出席するため、米国に一時帰国した。この式典は、友人であり、私が格別の敬意を払う人物であり、わが国と世界に卓越した貢献をした人物であるジョージ・シュルツ元国務長官によって企画された、セミナー、シンポジウム、晩餐会、基調講演からなる大変見事な行事であり、21世紀の世界における最も重要な2国間関係に成長したパートナーシップを記念するにふさわしい行事であった。

 サンフランシスコの式典の時点では、私は、この行事が日米関係の活力を最も端的に示すものであり、そのことが本日ここで皆さんにお伝えする主要なメッセージであると考えていた。そのメッセージとは、日米のパートナーシップは、健在で、政治、経済・通商、安全保障などすべての面で機能しており、また、かつてないほど強固であるというものであった。したがって、その時点で私が皆さんに伝えようと考えていたメッセージは、日米関係のこれまでの成果についてであった。

 しかし、世界は変わってしまった。

 一瞬の間に、世界は一変した。世界貿易センタービルの崩壊と国防総省への攻撃という悲劇的事件とテロの脅威の広がりが、世界を変えてしまった。人類の歴史を変えた決定的瞬間を境に、世の中は決してこれまでと同じではなくなった。

 巨大な建物を一瞬にして破壊した2機の航空機による世界貿易センタービルへの突入は、無名のテロリストによる卑劣な攻撃であった。しかし、ブッシュ大統領が、「テロリストは建物を破壊することはできても、アメリカを破壊することはできない」と述べたように、米国は今も健在である。

 その後起こった、国防総省への攻撃とペンシルベニアでの航空機の墜落事件は、私たちが新たな時代と新たな問題に直面し、私たち自身と文明を守るための新たな方策を考え出さなければならないことを確信させた。それは、世界貿易センタービルの崩壊で5,000人以上の人々の命が奪われ、あるいは数多くの人が負傷し行方不明者になっているからではなく、われわれはぜい弱であり、人類と文化は壊れやすいものであるということを確信したからである。

 同情のかけらも見せずに破壊行為を行う、この新たな、顔のない、冷酷無常な敵からわれわれ自身を守る方法を考案するため、人類は、その強さ、英知、歴史、文化のすべてを結集する必要がある。

 私は、サンフランシスコでのすばらしい記念式典の後、カンザス州ウィチタで開催された「米国中部・日本友好会議」と呼ばれる団体の式典へと向かった。米国には、南東部、中西部を含めて、この種の会議が確か5つあると思う。私は、妻のナンシーがウィチタの会議の共同議長を務めていたため、この式典に出席しようと考えたのであるが、ウィチタでは、中西部の人々の、発展し続ける日米の友好と同盟に対する熱意に迎えられた。彼らの熱意は、私がサンフランシスコで感じたのと同様のものであった。

 翌朝、東京に発つ便に乗るため、私はシカゴへと向かった。そこに、東京の大使館から秘書が電話をかけてきて言った。「テレビを見ていますか」と。私と妻は、シカゴの空港近くの小さなホテルの部屋にいたのだが、「見ていないけれど、なぜ」と尋ねた。すると秘書は、「見たほうがいいです」と言ったので、テレビのスイッチを入れると、まさに2機目の航空機が世界貿易センタービルに激突する瞬間であった。それは、世界が変わった瞬間であり、私自身も世の中も、もはやこれまでとは違うのだということを悟った瞬間であった。人と人との関係だけでなく、国と国との関係というものが、これまでとは決して同じではなくなった。その時点では、われわれが、この事件以降、それまでと比べて、より繁栄し、より協力し、このような問題に対してより敏感になるか否かは、定かではなかった。なぜなら、文明の過程で、大きな災難が必ずしも人類に進歩をもたらしてきたわけではないからである。

 しかし、ほどなくして私は気付いた。世界中がアメリカの下に結束し、哀悼と支援を表明し、直面する課題が共通のものであることを理解したことに。その後、次々と寄せられた心からの哀悼に、私は心を打たれた。事件から5日後、ようやく米国から日本に戻ることができた私は、まず大使館に直行した。正門で私が目にしたのは、芝生の上の数多くの花束と、献花のために長い列を作る人々の姿であった。おそらくそのほとんどが日本人であったであろう。大使館がしたのは、記帳用のテーブルと、雨を避けるためのテントを用意することだけで、それ以外に何か指示をしたわけではない。しかし、その後何日も、献花や記帳に訪れる人々の長い列が続いた。それは、大変心打たれる光景であった。記帳台に進む人々は、ただ機械的に動いているのではなく、台の前で止まったり考えたりしている様子であった。頭を垂れる人たちもいた。また、1人1人が静かに考えられるよう、後ろに並んだ人たちは少し距離を置いて待っていた。その光景は、日本人が、テロの脅威の本質を理解しただけではなく、アメリカの、遺族の、そして犠牲者の心に触れ、テロという共通の脅威に対しこれまで以上に同盟関係を強化するという決意を持ったことの証しに思えた。

 これまで、197カ国が米国に対し、哀悼と共感を表したが、日本ほど力強くそれを表明した国はない。小泉総理は、いち早く電話でブッシュ大統領に、苦境に立つ米国への全面的な支援を申し出た。さらに9月14日には、外国特派員協会の講演で、世界のメディアに対して、日本が友好国であり同盟国である米国に対し可能な限りの支援をすると明言した。

 私は、テロが米国にもたらしたものを目の当たりにした。しかしながら、テロを撲滅するという共通の目的の下に人類が結束している様子も目にした。また、日米の友好・同盟関係は、テロとの戦いに不可欠のものとなり、それによって2国間関係の重要性はさらに高まり、ひいては文明社会全体をさらに発展させる。

 私が大使館に戻った後、小泉総理が大使館を訪れ、テロの犠牲者に対する弔意を表し記帳と献花をされたことに、私自身も大使館職員も大いに感銘を受けた。田中外務大臣や中谷防衛長官をはじめとする多くの閣僚や各党の国会議員も大使館を訪れた。私はまた、日本の新聞が、社説で米国のテロに対する新たな戦いに対し支持を表明したことに勇気づけられた。9月13日付のある全国紙は、「テロとの戦いは他人事ではない」という見出しの社説を掲載した。

 このような考えは、テロとの戦いについての日本人への世論調査の結果にも表れている。9月19日、日本政府は、国際テロへの取り組みのための7項目の具体的な措置を発表した。この中には、自衛隊の協力、日本国内の米軍施設の警備強化、周辺国と避難民への人道支援、世界経済安定化に向けた措置、国際的な情報交換の強化なが含まれる。日本政府はまた、9月11日のテロ攻撃の犠牲者に対する支援基金として1千万ドルの資金提供を申し出た。ブッシュ大統領は、同日、ホワイトハウスが発表した声明の中で、日本のこうしたテロ対応措置を歓迎した。

 9月24日、25日の両日、小泉総理は米国を訪問し、多くの日本人が今なお行方不明となっている世界貿易センタービルの倒壊現場の惨状を目の当たりにし、その後、ホワイトハウスでブッシュ大統領と会談した。私は、アンドリュース空軍基地に到着する小泉総理を出迎えるため日曜日にワシントンに戻り、その後、ホワイトハウスのオーバルルームでの総理と大統領の会談に同席した。

 したがって、私はその場で直接目にした様子を皆さんに伝えることができる。ブッシュ大統領と小泉総理大臣はともに、直面する課題の深刻さ、義務の本質、そして協力の機会をよく理解していた。会談後の記者会見で小泉総理は、「われわれ日本人は、米国とともにテロと戦う用意がある。われわれは、決意と忍耐をもってテロと戦わなければならない」と、英語で直接米国民に語りかけた。

 小泉総理は、米国が危機にある時、われわれの言語である英語を使い、そうした力強い支持を表明した。この発言を聞いた米国民が大変勇気づけられたことを、特に強調しておきたい。私は、ホワイトハウスで小泉総理の言葉を聞きながら、この総理の言葉こそが、日米の友情の証しであり、それを雄弁に語った証言であると感じた。

 9月11日の恐ろしい事件以降、私は、多くの日本の友人から、日本は米国を支援するために何ができるのか、あるいは、友好国・同盟国として何を期待されているのかと、公式あるいは非公式に尋ねられた。また、多くの日本人記者は、米国は日本に何を期待するのかと聞いた。新聞の社説では、日本の文化や憲法や法律の枠内で、日本は何をすべきか、あるいは何ができるのか、といった議論がさかんに行われている。

 ホワイトハウスで、ブッシュ大統領が小泉総理と並んで、「人々はこの連合にさまざまな方法で貢献するであろう」と述べたように、われわれは、米国の友好国や同盟国のすべてに同じような支援を期待するわけではない。小泉総理も、財政支援、外交努力、人道援助、医療支援など、さまざまな協力方法があると述べた。

 しかしながら、日米の友好と同盟関係をどのように支援すべきかを指示するのは、駐日米国大使である私や米国政府の目的ではない。それは、日本自身が決定することである。日本が正しい決定を下し、意味のある、しかも優れた方法で、テロに対峙する新たな同盟に貢献することを確信している。

 新たな敵と戦うための政策立案と同様に重要なのは、われわれ自身の福祉、社会状況、経済的繁栄を忘れてはならないということである。9月11日のテロ攻撃によって、米国や日本そして世界全体が経済的繁栄を希求する必要がなくなったわけではない。

 米国は、小泉総理が最近の演説で、経済問題そして日本経済の繁栄、さらには米国経済に関して、多くの時間を費やしたことを嬉しく思う。なぜなら、日本の繁栄は米国の繁栄であり、その逆もまた真だからである。日米は、同盟国であるだけでなく、経済的・社会的繁栄の面でも結びついている。そのようには見えなくとも、日米は、文明を守るという意味での同盟国であるのみならず、経済や文明の発展を目指す上でもパートナーなのである。

 簡単なこと、議論の余地のないことなど何もない。日本の国会は現在、日本がどのような政策を取るべきか議論している。長年、米国議会に席を置いていた私は、傍聴席でその様子を見たいという思いに駆られる。しかしそうはしない。なぜなら、米国が討議の結果に何らかの影響を及ぼそうとしているという印象を与えたくないからである。私が伝えたいのは、このスピーチで述べたように、私は、日本が、日米の相互防衛と経済的・社会的繁栄のために、正しい選択をすると確信しているということである。

 他の国に対しての表現で、相互信頼以上の賛辞はない。駐日米国大使として、日米の同盟と友好関係が継続し、両国の協力によって世界が繁栄し、両国の努力の結集によって世界がより住み良い場所となることを期待する。ご清聴に感謝する。

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