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ユーラシア概要

特殊射撃訓練を指導する国務省外交警備テロ防止支援プログラムのインストラクター。この訓練は、カザフスタン、キルギス、ウズベキスタンなどの中央アジア諸国で実施された
特殊射撃訓練を指導する国務省外交警備テロ防止支援プログラムのインストラクター。この訓練は、カザフスタン、キルギス、ウズベキスタンなどの中央アジア諸国で実施された

 「米国とGUUAMは一丸となって、9月11日のテロ事件の犯人を法の裁きに掛け、テロと戦う。この対決は、イスラム教徒と非イスラム教徒に共通する価値観を守るための戦いだ」

米国とGUUAM(グルジア、ウクライナ、ウズベキスタン、アゼルバイジャン、モルドバ)の外務大臣による共同声明、2001年11月14日

 2001年に、ユーラシアでは重大なテロ事件は発生しなかった。しかし、この地域はこれまでアフガニスタンを拠点とする過激派の被害を長年にわたって受けてきたこともあり、国際的反テロ連合に不可欠な支援を提供した。この地域の国々は、領空通過権や臨時基地設置権を提供し、法律執行に関する情報と諜報を共有し、アルカイダのメンバーおよびその他のテロリストの特定、監視、逮捕のため積極的な活動をした。また各国政府は、9月11日の同時多発テロ事件直後に、米国大使館をはじめとする主要施設をテロ攻撃から守るための警備強化に迅速な行動をとった。さらに地域の国々は、12の反テロ国連条約の加盟国になるなどの外交的、政治的措置も講じた。独立国家共同体(CIS)集団安全保障条約(CST)の締結国は、国境沿いの警備の強化、旅券および査証の管理強化、法執行機関の関与の拡大、軍部隊の強化を求めた。さらに、CST安全保障理事会は、1年前に設置されたCISテロ対策センターの強化を計画している。

 地域の対テロ協力の強化は、米国にとってきわめて重要な優先課題である。そのために、国務省のテロ対策調整官室は、第2回中央アジア・テロ対策年次会議を6月にイスタンブールで開催した。中央アジア4国のみならず、ロシア、カナダ、エジプト、トルコ、英国のテロ対策当局者が人権、法の支配、テロリストの資金調達の取り締まりなどについて協議した。この会議を通じて、あるいは2国間、多国間協議の場で、米国は、人権を尊重しなければ効果的なテロ対策は不可能であること、また、アルカイダおよび他の国際テロ組織との戦いでは法の支配が絶大かつ不可欠な武器となることを一貫して強調した。会議最終日に行われた政策演習は、高度の公的監視を継続することと地域協力の必要性、テロ事件管理および対応のための緊急計画の重要性など、効果的な対テロ政策および対テロ作戦における基本的考え方を強固にするのに役立った。(次の会議は2002年6月24〜26日にアンカラで開催予定である)

 12月にキルギスは、「テロ対策活動の強化」をテーマにした欧州安全保障・協力機構(OSCE)中央アジア安全保障強化国際会議を、ビシケクで開催した。この会議には、60余の国・組織から300人を超える高官が出席した。この会議では、テロ防止で中央アジア諸国が重要な役割を果たすこと、一層の地域協力が必要であること、また、法律執行だけではテロと戦うことはできず、軋轢の社会・経済的原因への対処や法の支配の強化も必要であること、などの結論が出された。代表団は、調整・連携や省庁間の協力拡大、テロ行為を扇動する個人、団体、組織の違法活動を防止するための措置の必要性を強調した行動計画を採択した。

 この地域の国々は、国際テロと戦うための共通の活動を強化する措置を講じてきた。アフガニスタンでの戦闘の結果アフガン兵や難民が流入する恐れから、国境警備を強化し、過激派組織と戦う協力体制作りに拍車がかかった。米国の外国テロ組織(FTO)リストに記載されている団体で、ウズベキスタン政府の打倒とイスラム主義国家の樹立を求めるウズベキスタン・イスラム運動(IMU)の動きは依然、懸念材料である。1999年や2000年と異なり、2001年には予想されていたIMUの大規模攻勢はなかった。これはおそらく、ウズベキタン政府軍の準備態勢が整っていたことと、IMUが北部同盟に対するタリバンの夏期の攻撃に参加したためである。しかし、現地の治安部隊との紛争はあった。ただし、IMUとの関連は明確ではない。IMUのメンバーは、2000年、2001年にアフガニスタンでタリバンとともに戦った。IMUの多くの兵士が2001年11月のクンドゥズの戦いで死亡したが、軍事指導者のナマンガニもその1人と報じられた。米国と域内の各国政府は、純粋なイスラム教の教義を実践し、カリフ(イスラム世界の最高権威者の称号)による統治国家を中央アジアに樹立しようとする過激なイスラム政治運動組織、ヒズブット・タフリールの監視も続けている。各地元政府の主張にもかかわらず、米国は、この組織とテロ活動との明確な関連を見出していない。ユーラシア諸国は、テロ活動と犯罪組織とのつながりが強まりつつあることを認識しており、テロ、組織犯罪、人と麻薬の売買、その他の違法行為の間の関係を断ち切るための措置を講じてきた。

 中国との国境問題を協議する場として5年前に設置され、カザフスタン、キルギス、タジキスタン、ロシア、中国が参加する上海フォーラムは、6月に6番目の加盟国としてウズベキスタンを加え、名称を上海協力機構(SCO)と改め、引き続き地域の安全保障を重視してきた。今年初めにSCOは、テロ対策センターの基盤をキルギスの首都ビシケクに設置した。また加盟国は、6月の首脳会議で、「テロ、民族分離独立派、宗教過激派」対策で協力するという協定に調印した。

 カザフスタン、キルギス、タジキスタンの中央アジア3国は、ロシア、ベラルーシおよびアルメニアとともに、5月のCIS集団安全保障首脳会議において、テロやイスラム過激派を含む地域の脅威に対処するための緊急対応部隊を設置することに合意した。この部隊の本部は、ビシケクに設置されることになっている。中央アジア3国のそれぞれとロシアは、加盟国の要請があれば、地域の脅威に対処するために展開される大隊を訓練することに合意した。また、これらの国々の安全保障担当責任者は10月にドゥシャンベで、国境警備の強化について協議した。

 2001年、中央アジアの数カ国がテロ対策協定または国境警備協定を締結した。キルギスとタジキスタンは、両国の国境警備隊の情報交換の迅速化に合意し、カザフスタンは、7月に国境警備に関する協定をトルクメニスタンと締結した。12月にキルギスとロシアは、これまでの協力関係をさらに継続し、テロ対策情報を交換する協定を締結した。夏にキルギス国会は、2000年秋にウズベキスタンが一方的にキルギスとの国境に地雷を設置する決定を下したことを一因として挙げ、ウズベキスタンとの国際テロ対策国境協定の批准を拒絶した。画定していないキルギスとの国境沿いに埋設されたウズベキタンの地雷によって、少なくとも24人の民間人が死亡している。ウズベキスタンは、また、タジキスタンとの明確に画定されていない国境沿いにも一方的に地雷を敷設し、その結果、死者が出ている。

 

アゼルバイジャン

 アゼルバイジャンと米国との間には、9月11日の同時多発テロ事件以前からテロ対策分野で良好な協力の実績がある。アゼルバイジャンは、1998年の東アフリカで起こった大使館爆破事件の調査を支援し、首都バクーの米国大使館に対するテロの脅威対策で同大使館と協力してきた。9月11日のテロ事件後、アゼルバイジャン政府は、米国に対する無条件支援を表明し、米国主導の対テロ連合に「必要とされるあらゆる手段」を提供すると申し出た。これまでにアゼルバイジャンは、包括的な領空通過権、基地の使用、ならびに情報の共有と法律執行分野での協力を提供してきた。

 またアゼルバイジャンは、米国に対し強い政治的支持を与えてきた。12月11日の米国大使公邸での式典でアリエフ大統領は、国際テロに対する戦いで米国が講じるすべての措置を支持することを改めて表明した。10月初旬にアゼルバイジャン議会は、国連テロ資金供与防止条約の批准を票決した。これでアゼルバイジャンが加盟した国際的なテロ対策条約は8件となった。

 これまでアゼルバイジャンは、コーカサス地方全域で人、資金、物資を移動しようとするテロ組織とつながりを持つ国際的なムジャヒディンのルートになっていたが、アゼルバイジャン政府は、チェチェンのムジャヒディンを支援する国際的な兵站網の取り締まりを強化し、その存在と活動を効果的に抑え込んだ。アゼルバイジャン政府は、テロの資金調達と戦うための手段を講じてきた。テロ組織およびテロリストの疑いのある人物のリストを地元の銀行に配布し、テロ関連資金の流れを特定する協調的活動を行った。また8月には、アゼルバイジャンの法律執行機関がテロ組織、ヒズブット・タフリールのメンバーを逮捕した。これらのメンバーは、2002年初めに裁判にかけられた。1999年に逮捕され、2000年に裁判にかけられた国内テロ組織のジェイシュラーのメンバーは服役中である。2001年にアゼルバイジャンは、テロ組織を支援している疑いがあるイスラム系のNGO、イスラムの遺産復興クウェート協会の現地支部の登録を取り消した。9月11日のテロ事件の後、アゼルバイジャン政府は、南部の陸および海の対イラン国境の警備を強化し、不法入国者数人を逮捕した。また、サウジアラビアに国外退去になった3人、エジプトの3人を含め、テロとの関連の疑いのある少なくとも6人を国外退去処分にした。さらに航空安全省は、バクーのビナ空港の警備を強化し、航空機の安全に関する国際民間航空機関の勧告を実施した。

 

グルジア

 グルジア政府は、9月11日の同時多発テロ事件を非難し、国際的連合のテロとの戦いを支持した。事件直後、グルジアの国境警備隊は、ロシア国境沿いで、地域へのテロリストの侵入を監視するために高度の警戒態勢を敷いた。10月初めにグルジア政府は、米国に空港および領空の使用を提供した。

パンキシ渓谷の検問所でトラックを調べるグルジアの警察官
パンキシ渓谷の検問所でトラックを調べるグルジアの警察官

 分離独立派地域であるアブハジアでの短期間の戦闘や、ロシア領土からの航空機による対テロ作戦を装ったグルジア爆撃など、グルジアは引き続きチェンチェン紛争の余波による暴力事件に見舞われた。グルジアは、ムジャヒディンおよびチェンチェン兵士に対する資金面と兵站面の支援の経由地としてグルジアを利用する国際的なムジャヒディンとも戦っていた。グルジア政府は、東部で十分な支配権を確立できずにいる。10月初旬にグルジア当局は、13人のチェンチェン人ゲリラをロシアに送還し、ロシアと協力する動きを見せた。11月にシュワルナゼ大統領は、テロリストたちの所在および彼らの犯罪行為に関する具体的情報をロシア政府がグルジア政府に提出するならば、チェチェン人テロリストがグルジア北部のパンキシ渓谷を避難地として利用するのをグルジアが許可しているとロシア当局が非難しているその渓谷で、チェンチェン分離独立派兵士と外国人ムジャヒディンを逮捕するために、ロシアに協力すると約束した。米国は、グルジア当局が問題地域でテロ取り締まりを強化できるよう、訓練やその他の支援を提供してきた。

 グルジアでは依然として誘拐事件が発生した。2000年11月30日に誘拐され、パンキシ渓谷付近で監禁されていた2人のスペイン人ビジネスマンは、2001年12月8日に解放された。8月にパンキシ渓谷で誘拐された日本人ジャーナリストは、12月9日に解放された。(次ページへ続く

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