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中南米概観

2001年9月10日、ペルーのリマで、アンデス外相会議のメンバーとともに写真に収まるコリン・パウエル米国務長官。米州機構特別会議で、北米と中南米の外相および政府高官が、地域の民主主義を強化する協定を採択した
2001年9月10日、ペルーのリマで、アンデス外相会議のメンバーとともに写真に収まるコリン・パウエル米国務長官。米州機構特別会議で、北米と中南米の外相および政府高官が、地域の民主主義を強化する協定を採択した

 「個別にも、また集団としても、米州諸国はテロ組織の西半球での活動を決して許さない。われわれの団結は固い」

米州機構の宣言、2001年9月21日

 米州機構が、国際機関の中で最初に「世界のすべての民主国家と自由国家に対する攻撃」への強い怒りを表明し、米国との連帯を宣言した時、キューバを除く中南米諸国は一体となって、9月11日の同時多発テロを非難した。その10日後、米州機構外相会議は、テロと戦うための一連の強力な措置を求めた。また、米州相互援助条約加盟国は、1加盟国への攻撃を全加盟国に対する攻撃とみなす相互援助の原則を発動するという前例のない措置を取った。

 中南米地域では、誘拐事件が引き続き最も深刻な問題となっている。2001年には、19人の米国人がこの地域で誘拐され、うち5人がコロンビア、5人がハイチ、そして4人がメキシコで誘拐された。コロンビアのテロ対策精鋭部隊は、2000年10月にエクアドルで米国の石油会社社員5人が誘拐され、その後2001年1月に米国人ロン・サンダーが殺害された事件に関連して50人を逮捕した。

 9月11日の同時多発テロ事件により、アルゼンチン、ブラジル、パラグアイの3カ国国境付近で活動する、レバノンのヒズボラなどのテロ組織が改めて注目された。この地域では、テロリストが違法事業により毎年多額の資金を調達している。ヒズボラのメンバーや支持者が、イキケを中心とするチリ北部、ベネズエラとの国境に近いコロンビアのマイカオ、ベネズエラのマルガリータ島、パナマのコロン自由港などの他の中南米地域でも活動していることを示す証拠もある。米国と地元の情報・諜報機関や法執行機関が、中南米にウサマ・ビンラディンやアルカイダの細胞が存在するとの情報を調査したが、2001年末の時点では確認されていない。

 パウエル国務長官は9月10日、コロンビアの準軍事組織であるコロンビア自警軍連合(AUC)を、その急速な成長(2001年には兵士数は推定9000人に急増)とテロ戦術の多用を主な理由に、外国テロ組織(FTO)として公式に指定した。1万6000人のメンバーを持つコロンビア最大のテロ組織であるコロンビア革命軍(FARC)は、2001年と2002年初頭に、多くの暴力行為とテロ攻撃を行った。このため、コロンビアのアンドレス・パストラナ大統領は、2002年2月、それまで同大統領の基本方針であった和平交渉を打ち切り、FARCの非武装地帯に対する政府の統制を改めて強化することを決定した。

 爆発物専門家としてFARCの都市テロ作戦を支援しているとみられるアイルランド共和国軍のメンバー3人が、8月にFARCの非武装地帯を離れる際に逮捕された。コロンビアの報道機関は、テロ組織「バスク祖国と自由(ETA)」がFARCに同様の支援を提供していると伝えた。多くの専門家が、エクアドルが、コロンビアのテロ組織向けに外国から輸送される武器、弾薬、爆発物の積み換え経路における戦略的拠点になっているとみている。

 ペルーでは、「輝く道(センデロ・ルミノソ)」が、テロ組織として復活する兆しを見せているが、この組織は、イデオロギーに基づく反乱より麻薬取引に重点を置いている。1990年代後半にほぼ一掃されたトゥパク・アマル革命運動(MRTA)によるテロ行為は、2001年にはなかった。

 テロ支援国家7カ国の1つに指定されているキューバについては、「テロ支援国家」の項で述べる。

 

ボリビア

 ボリビアでは、2001年には国際テロ事件は発生しなかったが、国内テロは多発した。その中でも最大の事件は、12月21日にサンタクルスのボリビア国家警察署入口付近で発生した自動車爆弾テロである。この事件では、1人が死亡し多数が負傷したほか、米国麻薬取締局事務所のあるビルなど付近の建物にも被害が及んだ。ボリビア当局の推測によると、この爆破テロは、最近の警察による強盗団の逮捕に関連している可能性がある。ペルー人を含むこの強盗団は、明らかにボリビアの元警察官に率いられていた。

 その他の事件のほとんどは、コカの違法栽培者(「コカレロス」)によるものと考えられている。その中には、治安部隊に対する狙撃事件や、コチャバンバ県のチャパレ地方を中心とした撲滅活動の行われている地域における偽装爆弾事件などがある。

 9月11日の同時多発テロ後の数カ月間に、ボリビアは12の国連テロ防止条約すべてと米州機構の条約に署名し、さらにテロ資産の凍結命令を発令した。

 

チリ

 チリでは2001年には、明らかにテロに関係する2つの事件が発生した。9月後半には、米国大使館に手紙爆弾が届いたが、これは地元警察により無事処理された。もう1つは、サンティアゴの医師に炭疽菌に汚染された手紙が届いた事件であるが、これは米国の炭疽菌事件で使用されたものとは種類が異なっており、地元の人間により実行された可能性がある。

 手紙爆弾事件では、チリ人容疑者であるレニン・グアルディアとフムベロ・ロペス・カンディアの2人が、それぞれ司法妨害と武器の不法所持、および爆弾の製造と郵送の容疑で収監された。2人ともチリの反テロ法の下で有罪となれば20年の禁固刑を言い渡されるが、この事件は個人的・利己的な動機で起こしたものであり、注目度の高い米国大使館が標的となったようである。

 チリ政府はまた、北部の港町イキケにおけるレバノン人実業家アサド・アーメド・モハメド・バラカートの活動の調査を開始した。この人物は、パラグアイ当局から指名手配され、年末の時点で依然としてブラジルに在住しているバラカートと同一人物である。当局の推測によると、バラカートはイキケで、レバノン人共同経営者とともに、ヒズボラに多額の資金を提供するための隠れみのとして2つの企業を設立した。

 またチリは、自国の対テロ能力を強化し、国際条約の義務に従うための具体的措置を取り始めた。それらの措置には、国連の12のテロ防止条約すべてへの署名に加え、テロリストの資金調達を阻止する新たな資金洗浄法や、テロ対策の特別捜査部門および新たな国家情報機関設立の提案などが含まれる。

 チリは、9月11日の同時多発テロ後、リオ・グループの2001年の議長国として、ブラジルやアルゼンチンと協力し、米国に対する西半球の支援の調整に努めた。チリの果たした役割には、同時テロ発生の翌週に米州機構常任理事会と同外相会議を召集したことに加え、史上初のリオ条約の発動や米州機構の米州テロ対策委員会の特別会議への参加などがある。

 

コロンビア

 2001年には、テロに対する意識が国際的に高まったにもかかわらず、コロンビアでは、コロンビア革命軍(FARC)、民族解放軍(ELN)、およびコロンビア自警軍連合(AUC)の3つの組織によるテロ行為が、停止するどころか減少すらしなかった。約3500件の殺人が、この3組織によるものとされている。

コロンビア革命軍の非武装地帯サン・ビセンテ・デル・カグアンからボゴタの空港に到着した飛行機を降りた後に逮捕された、容疑者のアイルランド共和国軍メンバー
コロンビア革命軍の非武装地帯サン・ビセンテ・デル・カグアンからボゴタの空港に到着した飛行機を降りた後に逮捕された、容疑者のアイルランド共和国軍メンバー

 パウエル国務長官は9月10日、AUCを外国テロ組織(FTO)として公式に指定した。その理由として、AUCは急速に成長しており(2001年末までに兵士数は推定9000人に急増)、住民の一部を強制的に退去させるために大量殺りくを繰り返していることがあげられる。AUCがFTOに指定されたことにより、コロンビアの3つの主な非合法武装集団は、すべて米国のFTO指定組織となった(FARCとELNは1997年に指定されている)。推定によると、2001年のコロンビア国内の避難民(主に地方の農民)の約43%がAUCのテロによるものであり、約35%がFARCとELNによるものとされている。

 コロンビアでは、2001年にもそれまでと同様、世界で最も多く誘拐事件が発生しており、被害者からテロリストへの身代金や強要金の支払いという形の資金の移動が、引き続きコロンビアの経済を弱体化させている。2001年に発生した2800件を超えるコロンビア人と外国人の誘拐事件のうち、約80%がFARCとELNの犯行であると言われている。外国人人質の中には、自国政府や所属機関(国連など)が内紛の調停を支援していた者もいた。1980年以降、FARCは少なくとも10人の米国人を殺害した。またFARCが1993年に誘拐したニュートライブス・ミッションの宣教師3人は、依然として行方不明のままである。

 FARCとAUCは、麻薬不法取引の経路やコカ栽培の一等地を巡り争っている地域を中心に、相互の支援者とされる人々を殺し合うという行為を続けた。FARCとELNは、カノ、リモン、コベナスを結ぶ石油パイプラインの爆破で優勢を競い、合わせて178件という史上最多の爆破事件を起こし、環境と経済に甚大な被害を及ぼした。年末までには、より規模の大きいFARCが優勢を占め始めた(FARCのメンバー数は推定1万6000人、一方、ELNは5000人以下)。

 それまでと同様、コロンビア政府とFARCまたはELNとの断続的な交渉は、いずれも実質的な進展をみなかった(本報告書の印刷時点で、パストラナ大統領は、FARCによる2002年2月2日のアイレス航空1891便ハイジャック事件、コロンビアのホルヘ・ヘチェン上院議員誘拐事件、そしてイングリッド・ベタンクール大統領候補誘拐事件の後に、FARCとの交渉を打ち切った。またコロンビア軍は、FARCの非武装地帯に対する統制を改めて強化した)。ELNとの交渉は継続された。また、AUCは引き続きコロンビア政府による政治的認知を求めたが、得られなかった。

コロンビアで炎に包まれる石油パイプラインのそばに立つ赤十字職員。当局によると、左翼反乱分子がパイプラインを爆破した
コロンビアで炎に包まれる石油パイプラインのそばに立つ赤十字職員。当局によると、左翼反乱分子がパイプラインを爆破した

 コロンビア政府は、2001年を通じ、この3つのテロ組織に、法的・司法的手段だけでなく直接軍事行動を取った。コロンビアの検察長官は、FARC、ELN、AUCの多くのメンバーを、国内テロ容疑で起訴した。またコロンビア政府は、テロの資金源となっている反乱分子や準軍事組織を追跡し、2001年後半の短期間にFARCの財務責任者4人を逮捕するなど、ある程度の成功を収めた。5月には、モンテリア市内のAUC幹部の家宅捜索が行われ、AUCの資金源に関する重要な証拠を押収した。コロンビア政府は、さらに不穏な点としてこれら組織の国外のテロ組織とのつながりを上げている。FARCの非武装地帯で爆発物に関する専門知識と訓練を提供していたとされるアイルランド共和国軍のメンバー3人が8月に逮捕されたのは、その最も顕著な例である。

 コロンビア政府は、特に国連や米州機構などの国際組織の中で米国のテロ対策の努力に極めて協力的な姿勢を示してきた。コロンビアは、9月11日の同時多発テロ以前から、中南米諸国の中では積極的に国連においてタリバンへの制裁措置実施を推進し、現在も引き続き、決議1267号、1333号、1368号を含む国連の安保理事会や総会のテロ防止決議の実行に協力している。またコロンビアは、国連のテロ資金供与防止条約に署名し、米州機構では引き続き米州テロ対策委員会のメンバーとして積極的に活動し、テロ資金の流れの監視と阻止に関する小委員会の議長国に選ばれた。さらにコロンビアは、10月末に発表した3部から構成される戦略により、国内テロと戦う能力の拡大を計画した。この戦略の主な要素は、治安部隊の強化、刑務所制度の近代化、そして民事および刑事捜査制度の拡大と改善である。このほかに、テロ資産の押収や没収、銀行の守秘権の制限、および地方自治体や官僚機構の財務の腐敗を防止する措置に関する規定もある。2001年末現在、この戦略の実施は追加法案の可決を待っている。(次ページへ続く

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