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中東概観

2001年7月12日、ワシントンでアルジェリアのアブデルアジズ・ブーテフリカ大統領(右)と会談するパウエル国務長官
2001年7月12日、ワシントンでアルジェリアのアブデルアジズ・ブーテフリカ大統領(右)と会談するパウエル国務長官

「われわれが信奉するイスラム教は寛大であり、人命の尊厳を敬い、わずかひとつの生命でも意図してこれを奪うことは、人類全体を殺傷することに等しいとみなす」

イスラム諸国会議機構事務局長 アブデルアヘド・ベルケジズ博士、2001年9月12日

 2001年には、中東でのテロに関し2つの大きな展開があった。第1に、さまざまなテロ組織やその支援国家が2001年を通じ、テロ活動やテロ計画を継続した。そうした組織の中で特筆すべきは、最悪の反米テロを米国内で実行したウサマ・ビンラディン率いるアルカイダである。しかし他方で、米国との政治的緊張関係が続く国家も含め中東諸国の大半が、9月11日のテロ発生後、国際的な反テロ連合に対し前例のないレベルの協力姿勢を示した。中東における米国のいくつかの同盟国は、米国の権益や市民を標的とするテロを阻止し、テロ細胞を分断し、テロ対策に当たり米国との関係を強化した。多くの国が不朽の自由作戦に対し、人員、外国軍隊の受け入れ、領空の通過権など、目に見える支援を提供した。中東諸国政府のほとんどが、国連安保理決議1373号に基づき、アルカイダの資産を凍結した。特に、米国の外交官が駐在する中東諸国はいずれも、テロへの厳戒が続く中、職員と施設の警備強化を求める米国の要請に迅速に応じた。

 例えばイエメン政府は、国内で活動するアルカイダのメンバーおよびその疑いがある人物に対する軍事的な措置を取った。ヨルダンは、テロ容疑者に対する極めて厳格な監視を続け、多数を裁判にかけた。カタールは、イスラム諸国会議機構(OIC)議長国として、国際的な反テロ連合の行動を支持するOICの公式声明をまとめた。エジプトは中東地域における影響力を行使し、連合に対するコンセンサスを築いた。アラブ首長国連邦は、同時多発テロから11日後にタリバンと断交し、金融面で重要なテロ対策を取った。アルジェリアは、国内テロとの積極的な戦いを継続するとともに、治安・警備面で米国政府との協力を拡大した。

 中東諸国の中でもシリアやレバノンなど、依然としてイスラエルと平和条約を結んでいない国々も、アルカイダなど一部組織に関する調査で米国やその同盟国と協力したが、一方で、ヒズボラ、ハマス、パレスチナ・イスラム聖戦など反イスラエルのパレスチナ組織については、これらがテロ集団であると認めることを拒否した。こうした国々や他のアラブ・イスラム国家は、これらの組織による暴力行為は正当な抵抗運動であるとし、時には、イスラエルやヨルダン川西岸そしてガザ地区での一般市民を標的としたパレスチナ人による自爆テロなどの攻撃も黙認する。

 バーレーン、クウェート、オマーン、カタール、サウジアラビア、およびアラブ首長国連邦の湾岸諸国は、国際的な反テロ連合の中で重要な役割を果たした。これらの湾岸諸国政府は、9月11日のテロ事件を公に非難するとともに、テロ資金の移動を遮断するため積極的な措置を取り、国によっては、外国軍隊の駐留や領空の通過権も認めた。いくつかの国は、不朽の自由作戦への軍事支援に対し自国民の反発があるにもかかわらず、そうした支援措置を取った。湾岸諸国でも他のアラブ諸国と同様、米国の権益がたびたびテロの脅威にさらされた。湾岸諸国は、全体として極めて迅速に対応し、適切で効果的な治安・警備措置を取った。

 テロ支援国家に指定されているイラン、イラク、リビア、シリアについては、本報告書の「テロ支援国家概観」で触れる。

 

アルジェリア

 アルジェリアのブーテフリカ大統領は、2001年に2度ブッシュ大統領と会談し、アルジェリア政府が反テロ連合に全面的に協力することを公に約束した。その協力の一環として、アルジェリア政府は、米国との情報交換を拡大するとともに、多くがヨーロッパを拠点とするアルジェリア系組織につながるテロ支援ネットワークを壊滅するため、ヨーロッパ諸国をはじめ各国政府と積極的に協力した。

 アルジェリア自身、1990年代初頭からテロの被害を受けてきた。また、1999年以降、海外で活動するアルジェリアの過激派が反米活動を強化しているため、米国とアルジェリアはテロ対策に当たり関係を密接にし、双方に恩恵があった。例えば、アルジェリア当局は4月、国際指名手配されていたアブデルマジド・ダフーマネ容疑者が、アルジェリアへの再入国を図ったとして逮捕されたことを明らかにした。同容疑者は、1999年12月の未遂に終わったロサンゼルス国際空港襲撃事件を計画した罪で起訴されているアハメド・レッサム被告の共犯である。

 アルジェリア政府軍のテロ対策能力が向上するに従い、同国での国内テロの規模は縮小しつつあったものの、2001年にも引き続き深刻な問題であった。武装ゲリラによる虐殺や偽の道路検問所を設置しての襲撃事件は減少した。暴力行為の大半は首都以外の地域で発生した。2001年における最悪のテロ事件は、メディア県ベルアギア付近で2月1日に発生した、イスラム過激派による住民26人の虐殺事件である。

 政府が首都アルジェでの治安強化措置を取ったにもかかわらず、アルジェ周辺での過激派によるテロが時折続いた。また、2001年初頭には、「サラフィスト・グループ」(GSPC)が、1997年以降初めて、外国人(ロシア人科学者4人とフランス系アルジェリア人女性1人)を殺害したが、報道によると犠牲者は国籍を理由に狙われたものではなかった。

 アルジェリア国内で最大の規模を有し最も活発なテロ組織でもあるGSPCは、テロ実行能力を維持した。GSPCは、アルジェリア北部を拠点に活動する反政府勢力に武器や通信機器を提供した南部の密輸入者やイスラム原理主義者と協力した。

 (アルジェリア政府治安部隊は2002年初め、アルジェリアのテロ組織「武装イスラム集団」の指導者アンタール・ズーアブリ司令官を銃撃戦の末射殺した。過去10年間に発生した一般市民が虐殺され事件の大半は、同組織の犯行である)

 

バーレーン

 バーレーンでは、2001年にテロ事件は発生しなかった。ハマド・ビン・イサ・アル・ハリファ首長は、2001年の湾岸協力会議(GCC)議長国として、テロと積極的に戦うというGCCの姿勢を一貫して推進した。また、バーレーンの金融当局は国連安保理決議1373号を実施するため、テロ資産を凍結する措置を速やかに取った。

 

エジプト

 エジプトと米国は2001年も緊密に協力し、テロ対策に関する幅広い課題に取り組んだ。この協力関係は、9月11日の同時多発テロの後さらに強化された。エジプト政府と宗教指導者は同時テロを非難した。ムバラク大統領は、アラブ国家の指導者としては最初に、アフガニスタンでの米国の軍事行動を公に支持した。エジプトはまた、テロ資金の移動を遮断する取り組みを支援するため、資金洗浄対策法案のとりまとめを含め金融規制を強化した。エジプト政府は、外国政府に対し、逃走しているエジプト人の引き渡し・送還を改めて要請した。

ガザ地区で対イスラエル攻撃の訓練に従事する「アルアクサ殉教団」のメンバー。この組織は、イスラエル軍人や民間人を標的とした数多くの銃撃テロや自爆テロを実行している
ガザ地区で対イスラエル攻撃の訓練に従事する「アルアクサ殉教団」のメンバー。この組織は、イスラエル軍人や民間人を標的とした数多くの銃撃テロや自爆テロを実行している

 エジプト政府はこのほかにも、9月11日の事件後、米国のテロ対策を支援するため、エジプト国内の米国市民や米国施設をテロから守ることを引き続き優先し、スエズ運河を通航する米軍の警備を強化し、航空安全令を実施し、(米国財務省関税局が運営する)旅客情報事前通報システムに参加し、また広範な領空通過権と運河通行許可を提供するなどの措置を取った。

 エジプト自身、長年にわたりテロの犠牲となってきたが、国内テロは減少してきた。2001年には、国内テロによる死者は出ていないが、エジプト政府はテロと過激派の活動を引き続き緊急の課題と位置付けた。エジプト政府は、計300人近いエジプト人と外国人を、テロ関連容疑で起訴した。これらの容疑者は、軍事法廷で裁かれる。その他にも、拘束中のテロリストの拘留期間が延長された。逮捕された容疑者のうち87人は、エジプト当局が「アルワアド(約束)」と呼ぶ集団のメンバーである。彼らは、エジプトの要人暗殺と戦略的な標的の爆破を計画した容疑で逮捕され、当局によると、逮捕時には武器貯蔵庫と爆弾を製造できる材料が発見された。また、逮捕者の中には、警察官と民間人の殺害容疑がかけられている「アルガマア・アルイスラミア」(IG)のメンバー170人も含まれていた。彼らは、1994年から98年までの間の、旅行者の襲撃事件や銀行強盗事件でも起訴された。エジプトの主要なテロ組織であるエジプト・イスラム聖戦(EIJ)やIGは、9月11日の同時多発テロの後、打撃を受けた。両組織の国外在住のメンバーや一部の容疑者が、裁判を受けるためエジプトに送還された。エジプト政府は外国政府に対し、その他のエジプト人逃走犯についても、引き渡し・送還を改めて求めた。IGの指導者であるリファイ・アハマド・タハ・ムサ司令官は、2001年初頭に著書を出版し、その中で多数の民間人犠牲者が出たテロ行為を正当化しようとした。ムサはその数カ月後姿をくらまし、本報告書出版の時点で依然としてその足取りは不明である。

 

イスラエル、ヨルダン川西岸、ガザ地区

 イスラエルはこれまで、テロとの戦いで米国を最も強力に支援してきた国の1つである。9月11日の同時多発テロを受け、テロに関する米国とイスラエルの治安・警備協力はさらに強化された。ヨルダン川西岸とガザ地区でアルカイダの存在は確認されておらず、パレスチナ自治政府のアラファト議長も、同時多発テロを強く非難した。ハマスでさえ、公にはウサマ・ビンラディンに距離を置いている。

 2001年には、イスラエルとパレスチナの間の暴力行為が激化し、テロ活動は規模・犠牲者数とも拡大した。イスラエルはテロ攻撃に対抗し、自治政府施設への軍事攻撃、テロ容疑者の暗殺、そして道路封鎖やパレスチナの市町村閉鎖など治安強化措置を実施した。

 ハマスは、3月から6月にかけて、イスラエルの数都市で自爆テロを実行した。このうち6月1日にテルアビブのナイトクラブで発生した自爆テロでは、十代のイスラエル人の若者22人が死亡、少なくとも65人が負傷した。8月9日には、ハマスがエルサレムのピザ店で自爆テロを実行し、15人が死亡、60人余りが負傷した。

 パレスチナ・イスラム戦線(PIJ)も、自動車爆弾、銃撃テロ、自爆テロなど、ハマスと同様のイスラエルを標的としたテロを実行してきた。PIJのテロは概して、ハマスのテロに比べ犠牲者数がかなり少ない。PIJは、2001年に銃撃テロ数件の犯行声明を出したが、その中には、11月4日にPIJのメンバーの1人が東エルサレムのフレンチヒル地区で、児童を乗せたイスラエルのバスを待ち伏せ銃撃した事件が含まれる。このテロ事件で、米国とイスラエルの二重国籍者を含め、子供2人が死亡し、少なくとも35人が負傷した。

 2001年、パレスチナ解放人民戦線(PFLP)は活動を強化した。PFLPはエルサレムで自動車爆弾テロ数件を実行したが、重傷者はほとんど出なかった。しかし、PFLPは10月17日、東エルサレムのホテルで、イスラエルのレハバム・ゼービ観光相を暗殺した。これは、イスラエルによるPFLPのアブ・アリ・ムスタファ議長の暗殺に対する報復テロであったとされる。

 PLO主流派ファタハの一般構成員から選ばれた武装活動家から成る、小規模で緩やかに結びついた武装細胞の集合である「タンジム」のメンバーが、年間を通してヨルダン川西岸でイスラエルに対するテロを実行した。イスラエルが3月半ばに逮捕したタンジムの容疑者数人は、5カ月間にわたり少なくとも25件の銃撃事件に関与したことを自供した。一部のタンジム過激分子は、「アルアクサ殉教団」にも積極的に関わっていた。アルアクサ殉教団は、ヨルダン川西岸で主に入植者やイスラエル兵士を狙った数多くの銃撃テロや道路爆破テロ、そして少なくとも1件の迫撃砲テロについて、犯行声明を出した。

 2001年には、このほかにもパレスチナに拠点を持つイスラム教とは関係を持たない組織がテロを実行した。イスラエルは2001年秋、イラクに本拠を置くパレスチナ解放戦線とつながりを持つテロ集団のメンバー15人を拘束したことを明らかにした。5月初旬には、ダマスカスに本拠を置くパレスチナ解放人民戦線・総司令部(PFLP-GC)が、船舶「サントリニ」号でガザ地区に武器を密輸入しようとした。また、こうした組織とは明らかに一線を画しているパレスチナ人による政治的暴力事件も発生した。一例として、2月14日、イスラエルの民間バス会社「エゲッド」社の社員で、どのテロ組織とも何のつながりも確認されていない、ガザ出身のパレスチナ人男性が運転するバスが、停留所にいたイスラエル兵士の集団に突っ込み、8人が死亡し21人が負傷した。

 2001年に発生したテロ事件について、イスラエルの人口の5分の1近くを占めるアラブ系イスラエル人による関与は限られているようであった。アラブ系イスラエル人のムハマド・フバイシ容疑者が9月9日、ナハリヤの鉄道駅で自爆テロを実行し、ハマスが犯行声明を出した。しかしながら、概してアラブ系イスラエル人は、ヨルダン川西岸やガザ地区のテロリストへの教唆や支援を行わなかった。イスラエルは年末、反イスラエルのパレスチナ組織につながりを持つアラブ系イスラエル人4人を、テロ行為やテロ計画に関与していないにもかかわらず、起訴した。

 2001年には、ユダヤ人過激派が、ヨルダン川西岸とガザ地区でパレスチナの民間人や財産などに対するテロを実行した。こうしたテロ行為により、パレスチナ人民間人が死亡したほか、パレスチナ人の農地、住宅、事業所、自動車などが破壊された。4月には、ユダヤ人入植者がパレスチナ人が経営する店舗を爆破し、イスラエルの警察官6人が負傷した。11月下旬にイスラエルの治安機関シン・ベトが推定したところによると、ヨルダン川西岸で発生したイスラエル人入植者が実行した可能性が高い複数のテロ事件では、パレスチナ人5人が死亡し、14人が負傷した。こうしたテロ事件の多くの捜査が難航し、数人の逮捕者があったものの正式な起訴には至っていない。

 イスラエル軍は2001年に、ハマス、PIJ、ファタハ、またはPFLPとつながりのあるテロ容疑者20人以上を暗殺した。その際、人数は不明であるが、民間のパレスチナ人も死亡した。

 インティファーダ以前の、イスラエルと自治政府の治安協力が概して効果を上げていた時代とは異なり、2001年を通じて、自治政府のテロ対策活動は散発的であった。イスラエルが自治政府の治安基盤を破壊したことが、自治政府の機能低下につながった。イスラエルと自治政府の治安協力が大幅に後退し警備が緩んだため、ハマスなどのテロ組織がパレスチナ領土内でテロ遂行に必要な基盤を立て直すことにつながった。

 自治政府の治安部隊が、イスラエルに対するテロを未然に阻止した事例もある。また、保管されていた武器や爆発物を発見・押収した事例もある。しかし、ヨルダン川西岸とガザ地区の各地では2001年も暴力テロが続き、イスラエル人200人近くとパレスチナ人500人余りが死亡した。

 ブッシュ政権は12月初め、「パレスチナ領土を本拠として活動するテロリストに対する、意味のある長期的で持続的な措置」を取るようアラファト議長に求めた。アラファト議長は12月16日、議長の停戦命令に従うことを求める公式声明を出した。自治政府はこれに続き、ハマスやPIJの武装活動家数十人を逮捕したが、その逮捕状況や、彼らがどのような軍事的な役割を担っていたかについては不明である。自治政府はまた、ハマスとPIJが運営する福祉事業施設の一部も閉鎖した。ハマスは12月、自治政府の圧力を受け、イスラエル国内では自爆テロを停止すると発表した。しかし、ヨルダン川西岸とガザ地区ではイスラエルに対するテロ作戦を継続するという選択肢を留保した。ヨルダン川西岸とガザ地区内外のPIJ幹部は、アラファト議長の停戦協定命令を支持しなかった。

 (イスラエル軍は2002年1月、紅海上を航海中の船舶「カリンA」号を捜索し、ヨルダン川西岸とガザ地区の武装活動家に送られようとした、カチューシャ・ミサイルなどイランからの武器50トン近くを発見した。)

 

ヨルダン

 ヨルダン政府当局者は、9月11日の同時多発テロを強く非難し、米国の支援要請に積極的に応じた。ヨルダンのアブドラ国王は、この地域に影響力を持つ穏健勢力として、多国間会議の場で、テロとの戦いに協調して取り組む必要性を強調した。ヨルダンは、テロリズムの定義を拡大し、テロ犯罪に対する処罰を明記し、テロ資産の差し押さえを容易にするなどテロ対策法制を強化した。ヨルダン政府はまた、2001年もテロに対する厳しい姿勢を堅持し、1999年後半にアルカイダにつながるテロ計画を阻止したことへの報復の可能性や、ヨルダン領土を利用したイスラエルに対するテロ計画などの脅威にも対峙した。

メキシコのモンタレーで開催された、国連が主催する援助に関する首脳会議に出席したヨルダン国王アブドラ2世。中東地域で影響力を持つ穏健派のアブドラ国王は、テロとの戦いには多国間で協調した取り組みが必要になることを強調
メキシコのモンタレーで開催された、国連が主催する援助に関する首脳会議に出席したヨルダン国王アブドラ2世。中東地域で影響力を持つ穏健派のアブドラ国王は、テロとの戦いには多国間で協調した取り組みが必要になることを強調

 ヨルダン当局は4月下旬、国内にある不特定のイスラエル施設と西側施設を標的としたテロを計画した容疑で、武装活動家13人を1月29日に逮捕していたが、その詳細を明らかにした。この13人は、違法組織へ所属していたこと、テロ行為で共謀したこと、無許可および違法な用途で爆発物所持していたこと、そして無許可で爆発物を製造していたことの4件の罪状で審理のため国家治安裁判所に送られた。拘束時に手製の爆発物を所持していた者もいた。

 国家治安裁判所は12月3日、アブ・ニダル組織(ANO)の指導者サブリ・アルバンナ被告に、欠席裁判により死刑判決を言い渡した。アルバンナ(別名アブ・ニダル)は、1994年にレバノンでヨルダン人外交官を暗殺した罪で起訴されていた。このほかANOのメンバー4人も死刑を宣告された。(うち1人は、2002年1月初旬、リビアから帰国した際逮捕されたが、残り3人は依然として逃走している。)

 ヨルダンの検察は、ビンラディンにつながる1999年後半の「ミレニアム」テロ計画に関与していたとされる、米国とヨルダンの二重国籍保有者ラエド・ヒジャジ被告の裁判でも死刑を求刑した。ヒジャジは、ヨルダンでのテロを計画したこと、またアフガニスタン国内のアルカイダ訓練キャンプで軍事訓練を受けたことを自供したとされる。(ヒジャジは2000年、他の5人とともに欠席裁判で有罪判決を受け、死刑を宣告された。2002年2月11日、国家治安裁判所はヒジャジの刑を終身刑に減刑した。)

 ヨルダン当局は2001年、武装活動家がヨルダンからイスラエルに潜入しようとする数多くの試みを未然に阻止した。ヨルダンの治安当局者は6月、ヨルダン人4人を逮捕し、ヨルダン川西岸とガザ地区への武器輸送を計画したとして起訴した。ヨルダン当局はまた、爆発物を含む各種の武器を回収したが、これらはレバノンから密かに輸入され、ヨルダンとイラクの国境付近に隠されていたとされている。2001年末現在、この計画に関与したテロ容疑者少なくとも2人が、レバノンとヨルダン川西岸で逃走している。

 ヨルダン政府は引き続き、ハマスなどの反イスラエルのパレスチナ勢力のヨルダン国内での活動を厳しく監視・制限した。例えば、ヨルダン政府は、国外追放されたハマスの指導者イブラヒム・ガウシャが前触れなく飛行機でアンマンに戻った際、2週間にわたる難しい交渉を経て、ガウシャがハマスの報道官の役割を演じることもせず、またハマスのための政治活動もしないという同意を取りつけた後、帰国を認めた。

 8月7日、アンマン在住のイスラエル人ビジネスマンが、自宅アパートの外で射殺された。「ヨルダンの貴族」と「アハマド・ダカムセの聖戦士」と称する2組織が犯行声明を出したが、このテロの動機は不明である。(アハマド・ダカムセは、1997年にイスラエル人女子生徒6人を殺害した罪で終身刑に服しているヨルダン人兵士である。)

 ヨルダンの裁判所は12月初め、前月に武器をヨルダンに密輸入したとされるイラク人トラック運転手の行動を審理していた。この容疑者は当初、身元不明のイラク人から金を受け取り武器をヨルダンに運送したにすぎないと主張していたが、さらに取り調べを進めた結果、少なくとも機関銃13丁は、ヨルダン川西岸とガザ地区向けであったことを認めた。(次ページへ続く

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