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マドレーン・K・オルブライト米国国務長官

「オルブライトホール」除幕式後の講演
2000年7月30日、宮崎市市民プラザ

 野田真理菜さん、素晴らしい歓迎の言葉をありがとう。英語がとてもお上手ですね。私は、この講演を日本語でできないことを申し訳なく思います。恐らく、日本の先生方がおっしゃるかもしれませんが、私ももっと勉強する必要があるということでしょう。

 津村市長、柳井大使、フォーリー大使、先生と学生の皆様、ご来賓の皆様、そして友人の皆様、今日ようやくこの場所を訪ねることができてとても嬉しく思っています。また、訪問が遅れてしまったお詫びを快く受け入れて頂いたことにも大変感謝しております。そしてこの新しく素晴らしい施設のホールに、私の名前を付けてくださるという名誉にも大変感謝しています。

 率直に言って、自分の名前が何かに命名されるというのは初めての経験です。本当にありがとうございます。米国では、ホールには亡くなられた方の名前を付けるという慣習がありますが、今回はそうした条件がつかないと聞いて安心しました。

 宮崎に是非とも来たかった理由の1つは、ここが世界で最も美しい場所の1つだと聞いていたからです。もちろん、まだ到着したばかりですが、機内からの景色、そしてこのホールに向かう途中の景色を見まして、それが本当だということが分かりました。

 例えば、宮崎の道路は、世界の多くの国々の公園より美しいと思います。宮崎の人々が自然を保護しながらその美しさをうまく演出していることに、すべての日本国民が誇りを持つべきでしょう。

 また、私が今日ここに来たかったのは、学生の皆さんと話す機会があると知っていたからです。私には5人の孫がおり、学生の皆さんに「ポケモン」が一体どういうものであるかをお聞きしたいと思っています。

 特に喜ばしいのは、米国と姉妹都市関係にある町の学生の皆さんが大勢お集まり下さったことです。こうした姉妹都市の結びつきは、過去50年間にわたって米国と日本の人々が築き上げてきた友情を表しています。

 こうした交流は、日米両国が同一の社会であるから生まれたわけではありません。実際には、日米両国は、異なる歴史を持ち、異なる言葉を話し、異なる伝統を大切にし、異なる習慣を守っています。それにもかかわらず、私たちは真の同盟国となり友人となったのです。

 その理由の1つは、両国が基本的な利益を共有しているからです。例えば、今日の世界において、日米両国のような国家間では経済競争と協力関係との境界線が不鮮明になっています。両国がお互いに相手の国の繁栄に大きな利害関係を持っているわけです。だからこそ日米両国は、日本経済がその活力と持続的な成長を取り戻すことを望んでいます。

 外国からの直接投資に対して、日本の門戸が以前より開放されたのは、望ましい方向に向けての重要な一歩です。日米両国が最近、電気通信問題で達した合意もそうです。

 この合意は、米国企業に新しいビジネスチャンスをもたらすでしょう。また、日本の学生の皆さんがインターネットに接続する場合の料金も安くなるでしょう。これは皆さんの勉強の手助けとなり、さらに皆さんが成長されて世界市場で競争する際の手助けともなるでしょう。

 日米両国の将来の繁栄には、健全で均衡のとれた経済関係が不可欠です。そして両国が世界の2大経済大国であるが故に、そうした関係が将来の国際的な金融危機を阻止するための戦略の重要な要素となります。米国の巨大な対日貿易赤字が示すように、両国間には課題がまだまだありますが、その関係は正しい方向に向かっています。

私たちはまた、安全保障関係の見直しでも大きな進展を遂げています。

 これに関連して申し上げたいのは、先日クリントン大統領が沖縄の「平和の礎」で行った講演は、米国民の姿勢と考え方を十分に反映しているということです。

 私たちは共に、戦争からつらい教訓を学び、平和への責任を認識するようになりました。日米同盟は私たちに強さを、そしてこの地域全体に信頼を与える源となっています。日米両国は協力してこの同盟を維持し継続していかなければなりません。

 はっきり述べたいと思います。米国は同盟国としての責務を真剣に受け止めています。

 米国は、良き隣人やゲストとなることにコミットしており、また、防衛に関する日米共通の課題に対して日本と緊密に協力していく覚悟です。

 日米両国の経済および安全保障分野での協力関係は全般的にみて、これまでになく良好であると言えます。しかし、これを他の分野にも広げることにより、さらに良好な日米関係が期待できます。

 もしここにいる学生の皆さんに、そして米国にある宮崎の姉妹都市の学生達に、将来どのような世界で自分の家庭を築きたいかと聞けば、答えは非常に似通ったものになると思います。

 米国人も日本人も、生まれや文化が違っても、共に平和に暮らすことができる世界を望んでいます。また、アジアを含む世界各国に、引き続き民主主義のうねりが強まっていくことを望んでいます。

 太平洋を挟む日米両国の国民は、不利な立場にある人々が貧困や無知あるいは疾病を克服するのを手助けしたいと思っています。グローバリゼーションの恩恵は、少数の人だけではなく、大勢の人にもたらされるべきです。そして、貧困にある人々を助けたいという真理菜さんの思いは、日本の皆さんが望まれていることで、私たちが協力していきたいと思っていることのまさに具体例です。

 日米両国民は、大気と土壌と水の汚染を防止するため、手遅れになる前に活動したいと考えています。そして、国境を越える脅威であるテロ、疾病、犯罪に協力して立ち向かう必要性を認識しています。

 将来に対するこうした共通するビジョンは、故小渕総理大臣が、日米関係の中心に価値観の共有を据えることを両国に求めたときに、すでに意図されていたものです。

 しかし前総理は、私たちと同じく、信じるだけでは望む世界は手に入らないことを十分理解されていました。ただ夢見るだけでは何も実現しません。行動が必要です。ですから、より自由で豊かで安全な世界をつくるには、日米両国そして私たちの仲間が大胆な行動を起こす必要があります。そうです。私たちは行動しているのです。

 例えば、大変な成功をおさめた先の九州・沖縄サミットにおいて、G8各国は、サミット首脳宣言(沖縄2000)を採択しました。この宣言には、持続可能な経済成長を実現し、力強く開かれた社会を実現するための原則が述べられています。

 この中で提唱されている行動の1つに、開発途上国の膨大な債務の削減があります。債務削減によって、これらの国々は、子供たちの教育、国民の職業訓練や医療のためにより多くの予算を割くことができます。

 同時に私たちは、開発途上国の人々が他国から取り残されないために、新しい情報技術にアクセスできるよう積極的に支援しなければなりません。

 日米協力の精神は、もう1つ、先月ポーランドで開かれた「コミュニティー・オブ・デモクラシー会議」(民主主義共同体会議)でもみられました。この会議は、民主主義の道を歩もうという誓いの下に100以上の国が集結したこれまでに例を見ないものでした。

 米国は会議の開催を準備し、日本は貧困国の参加費用を支援しました。

 そこでの日米両国の目的は、独裁政権から民主主義への移行を図っている国々を支援することでした。私たちは彼らの成功を望んでいますが、紛争、腐敗、犯罪が妨げとなり、前途は多難です。

 このような危機を見据え、民主主義国家は民主的な組織をより強固にし、自由の価値を促進するために協力しています。そして、日本は、東アジアの主要な民主主義国家として、また域内そして世界に大きな影響力を与える国として、中心的な役割を担っているのです。

 90年代初め、カンボジアでの民主選挙の準備と実施にあたり、日本は指導的な役割を果たしました。より最近では、東ティモールでの国連平和活動に対し多大な資金援助をしています。そして現在、日本は、インドネシアが政治的安定を取り戻し、経済復興を果たすために手を差し伸べています。

 さらに米国は、国民の政治的権利や基本的人権を組織的に否定し続けているビルマの民主化を推進するために、日本が国連や米国と共に、民主主義的原則に基づく役割を担うことを期待しています。

 日米協力の素晴らしい、また非常に成功した例として、地球規模の課題に関する日米のコモン・アジェンダが挙げられます。

 1993年以来、日米両国は、ポリオやエイズの撲滅から気候変動の悪影響を最小限にとどめるための対策まで、幅広い分野での共同プロジェクトに携わってきました。これらのプロジェクトは、個々の目的や対象となる地域によって多様なものとなっていますが、すべて私たちの共有する価値観のたまものであり、それぞれのプロジェクトは確実に人々の生活に変化をもたらしています。

 日米両国は、政治面でも世界の安定と平和のために手を携えて取り組んでいます。

 ご存知の通り、私の宮崎訪問が遅れた理由は、クリントン大統領、バラク・イスラエル首相、アラファト・パレスチナ自治政府議長と共にキャンプデービッドでの中東和平交渉に参加していたためです。

 最終的には、これら一連の交渉では合意に達することができませんでした。しかし、イスラエルとパレスチナの指導者は、まだ和平をあきらめてはいません。そして私たちもあきらめるべきではありません。主要な問題点においてこれほどの進展があった後、両者が和解への道を簡単に捨て、再び悲痛と敵対関係に戻って行くとは考えられません。

 米国は、中東の指導者や人々が、この期間を新たな実りある交渉に向けた、再考のための準備期間とすることを願っています。米国は、いつでも協力する用意があります。そして、この努力が日本を含めた平和を希求する国々によって強化されていることを知った時、私たちはより強くなれるのです。

 日米両国の平和に向けた協力は、朝鮮半島の永続的な安定に向けた私たちの支援にも反映されています。

 先日、河野外務大臣と私は、朝鮮民主主義人民共和国の外相と個別に、初めて会談しました。

 ここにいる学生の皆さんは、この会談はそれほど重要ではないと思われるかもしれませんが、朝鮮半島は、戦後分断されたままで、いまだに和平が達成されていないことを考えてください。その戦争は、私が13歳の時に始まったものです。これで私の年齢が分かってしまいますね。

 過去の対立や考え方の違いは一晩にして忘れられるものではありません。しかし、私たちは北朝鮮が外交面で柔軟な姿勢を見せていることに勇気づけられています。南北対話も支持しています。朝鮮半島の長期的安定を確保するために、韓国政府と引き続き協力するつもりです。

 今日、ここでお話した行動やイニシアチブは、互いに互いに無関係のように思われるかもしれませんが、そうではありません。なぜならこの1つ1つはすべて、日本や米国だけでなく世界中の若い世代が自由、繁栄、平和の中で育ち、年を重ねていくためのより大きな努力の一部であるからです。

 この目的は、ただ1つの提案や計画、条約、または功績によって達成されるものではありません。単独の国家や一部の国家だけで成し遂げられるものでもありません。それは、私たちすべて、すなわち老いも若きも官民を問わず、社会的階級を越えた世界の人々のたゆまる努力の結果なのです。

 宮崎には花が咲かない時期はないといわれます。そして宮崎を訪れた人は、ここの花が一輪だけで咲くのではなく、様々な種類の花が共に咲き、模様を織りなしているから美しいのだということに気付くでしょう。

 米国と日本は非常に異なった国ですが、共通の利益と価値観を持っています。両国は2国間で、また国際機関を通じて様々な分野で多くの有益な目的のために協力しています。

 宮崎の庭園のように、私たちの活動は全体として、模様を織り成しています。民主主義、経済発展、そして人間の尊厳を基盤にした花模様は世界を輝かせるのです。

 日本の皆さんには、日米同盟にコミットなさっていることと多くの分野で積極的な役割を果たされていることを、称賛したいと思います。

 宮崎の皆さん、特に今日ここにお集まり頂いた学生の皆さんには、訪問が遅くなったにも関わらず歓迎してくださったことに、お礼を述べたいと思います。おかげで皆さんの故郷である美しい宮崎を見ることができました。

 そして、私の名前が付いた美しい建物のある宮崎を、よろしければ私も「ふるさと」と呼ばせていただきたいと思います。

 皆さん、ありがとうございました。当地をようやく訪問できて本当に嬉しく思います。

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