日本の写真フィルム・印画紙に関連する措置についての アメリカ合衆国政府意見書 (仮訳) 1997年2月20日 以下は、米国政府による公式の訳文ではない。この訳文は、米国政府が世界貿易機 関(WTO)の紛争処理小委員会に提出した200ページにも及ぶ意見書の一部である。 I. 紛争の概要 1. 30年以上にわたり、日本政府は消費者向け写真フィルム及び消費者向け印画紙の 輸入品の日本市場における販売を抑制してきた。1 そのために、日本政府は、関 税、輸入及び外国投資に関する自由化の影響を相殺する目的で、広範囲にわたる 一連の措置を適用してきた。ケネディラウンドに始まり現在に至るまで、日本政 府は、国内の消費者向け写真材料の製造業者の優越的地位を強化し、可能であっ たはずの輸入品の参入の機会を制限する目的で、法律、規則及び行政行為を実施 してきた。これらの行為を通じて、日本政府は、日本の関税に関する譲許から貿 易相手国が期待していた利益を組織的に無効化、そして侵害し、他方では、写真 フィルム及び印画紙について、輸入品よりも国内製品を優遇してきた。 2. 日本政府は、写真フィルム及び印画紙に関する日本の公式な貿易障壁を撤廃し自 由化を進めていたのと正に同時期に、国内産業を再編成し、外国競争者の優位性 が認められる分野において「自由化対策」を適用することによりこれらの自由化 の効果を減殺してきた。日本政府は、写真材料の製造業者、卸売業者及び小売業 者間の水平的及び垂直的連携を奨励し、国内企業間の競争を緩和させることによ りこれらを行ってきた。元来、日本政府は、国内企業が外国企業からの競争の影 響を最も受けやすい分野において国内企業を強化し、国内産業を適切に保護する までは、公式な障壁を維持してきていた。 3. 本件において問題となっている措置の多くは、保護主義に典型的な特徴を有しな い。日本政府の自由化対策は、輸入品と国内製品に平等に適用された場合もあっ た。措置のいくつかは、それらだけを切り離してみればごくありふれた商業規制 のように見えるかもしれない。しかし、全体的に見た場合及び歴史的文脈におい て見た場合、本件の根底にある措置から、日本政府が写真材料の輸入品を不利に 扱う日本独特の流通販売システムを造り上げてきた事実が浮かび上がる。 4. 本件は、新しい手法により達成された古典的な保護主義である。日本政府が介入 し、写真材料業界の競争秩序を再編成したことにより、輸入品による市場アクセ スは制限されてきた。その上、日本政府は、措置を採る各段階において、国内市 場における主導的企業を輸入品との競争から保護するという明示的目的をもって 商業規則を適用してきた。事実、日本政府は政策形成にあたって閣議で次のよう な結論を出している。 「自由化に伴って進出した外資が、優越した企業力を乱用してかく乱的な行 動に出る ことを抑制し、あるいは規制回避的な方法で、非自由化分野に進出す ることを防止す る必要がある。 このようにわが国企業の競争力を強化し、外資のかく乱的行動を防止する対 策を確立 することが、自由化を進めるためにも、また国民が自由化に伴う経済 的利益を享受す るためにも、基本的に必要である。」2  5. 日本政府の複雑な自由化対策は、全体を1つの有機体としてとらえて初めて、完 全に理解することができる。これらが一体となって、公式な輸入規制に代わる極 めて強力かつ巧妙な措置として機能してきた。他国政府には、この対策に挑むこ とはもとより、理解することさえ容易ではない。結果は、輸入品の参入に対して 驚くべき抵抗力を発揮する市場構造が形成されたことであり、今日においてもこ の市場構造は存続している。 6. 写真材料の輸入品に影響を及ぼす日本政府の自由化対策は、以下のように分類さ れる。 流通対策 日本の通商産業省(「通産省」)の指導・誘導の下、写真材料分野における卸売 業は統合され、かつての流動的かつオープンな組織は、国内製造業者の支配下に 置かれた狭隘な流通チャンネルにより構成される組織に変更された。1960年代初 頭、フィルム及び印画紙の外国製造業者は、国内製造業者と同様に、日本国中に 点在する何千店もの小売業者に対して写真材料を販売する唯一の立場にあった日 本の大手写真専門卸売業者を通じて自己の商品を流通させていた。通産省による 再編成計画の結果、1970年代半ばまでには、大手写真専門卸売業者、並びに多く のより小さな卸売業者、小売業者、及び集配ラボは、フィルム及び印画紙の国内 製品のみを扱い、輸入品を流通組織から排除するようになった。 大規模小売店舗に対する制限 外国製フィルム及び印画紙による主要流通網へのアクセスを否定することに加え て、日本政府は、次善の代替流通経路、即ち、大規模小売店へのアクセスをも閉 鎖してきた。日本の無数の写真小売店にアクセスするためには、卸売業者を経由 することが必要であったが、他方、大規模小売店は、製造業者から小売への直販 を効率的に行うのに十分な規模の経済を有していた。その上、大規模小売店にお いて陳列スペースが広いことは、国内ブランドに加えて輸入品が陳列される可能 性も高いことを意味していた。しかし、日本政府は、大規模小売店の発展及び運 営を制約する極めて制限的な規制体制を確立した。これは、輸入フィルム及び印 画紙による日本市場へのアクセスに悪影響を与えた。 販売促進対策 日本政府は、外国製造業者が自社の資本力を通じ、経済的誘因(「景品」)やそ の他のマーケティング技術を通じて販売を促進することを制限することにより、 卸売業者及び小売業者に関する上記の措置の効果を強化してきた。これらの外国 製造業者による販売促進活動は、製品に対する需要を刺激し、卸売業者及び小売 業者にとって外国製品を取り扱う誘因となる。日本政府は、供給業者による値引、 クーポン、くじ、おまけ、又はその他の経済的インセンティブを制限する一連の 「販売促進対策」を適用した。これらの措置は特に、広告、それも特に価格や値 引についての広告における表示を制限するものであった。これらの措置は、写真 材料の輸入品の販売を制限する効果をもたらしてきた。 7. 消費者向け写真材料の外国製造業者は、これらの自由化対策に対抗するため奮闘 を続けている。この努力は、30年近くにもわたっている。これらの製造業者は、 いまだに主要な流通組織から排除されたままである。これらの製造業者は、大規 模小売店において自己の製品を陳列させる機会についても制限されてきた。そし て、革新的な販売キャンペーンを通じて自己の製品に対する消費者の需要を高め る努力も制約されてきた。競争におけるこれらの不利益は、日本政府の行為の直 接的な結果であり、これらの行為は、貿易に関する日本の義務に違反して実施さ れてきたものである。 A. 今日における日本の写真材料市場 8. 日本の写真材料市場は、国内製造業者2社及び外国製造業者2社の合計4社によ り供給されている。3  この国内製造業者2社、すなわち、富士写真フイルム株 式会社(「富士」)及びコニカ株式会社(「コニカ」)は、日本国中に営業所を 有している写真材料専門「一次」卸売業者を通じてほとんど全ての自社フィルム を販売している。そして、これらの一次卸売業者は、小売店に直接フィルムを販 売するか、より小規模なそしてより地域に密着した系列「二次」卸売業者を使用 している。富士は、四大一次卸売業者を通じて消費者向けフィルムの大半を販売 しており、これら四大一次卸売業者は、富士の専属的販売業者である。コニカは、 一次卸売業者である子会社2社を通じて販売しており、これら2社も、コニカの フィルムの専属的販売業者である。4 9. 他方、外国製造業者2社、すなわち、米国イーストマン・コダック社(「コダッ ク」)及び独アグフア・ゲバルト社(「アグフア」)は、卸売業者を使わず、小 売店に直接自社フィルムの大半を販売している。5 コダックは、自社フィルムの 60%を直接小売店に販売している。その他の25%は、集配ラボを通じて小売店に 販売している。コダック製フィルムの15%のみが二次卸チャンネルを通じて流通 しており、一次卸を通じては一切販売されていない。アグフアは、そのフィルム の90%を直接小売店に販売しており、二次卸を通じて10%を販売している。過去 22年間、コダック又はアグフアのフィルムを販売した一次卸売業者は存続しない。 外国製品は、一次卸売業者又は二次卸チャンネルを通じて流通しているフィルム 全体の3%未満を占めるに過ぎない。 10. 現在、約28万店の小売店が日本全国で写真材料を販売している。このように小売 店が多数存続するということは、卸売業者を使用する必要性を意味する。卸売業 者のみが、日本国中のおびただしい数の写真小売店にアクセスし、これらにサー ビスを提供するために必要な現地でのプレゼンス、流通基盤、販売ネットワーク、 及び人員を有している。日本の主要な写真専門卸売業者は、広範な販売ネット ワーク及び広範な地理的アクセスを有し、日本全国の47都道府県全てにその営業 所を有している。何十年にもわたって卸売業者は、日本全国の小売店との関係を 育ててきた。 11. 小売店に対する直接販売は、市場の一部のごく限られたアクセスしか意味しない。 外国製造業者は、写真専門店の規模が比較的大きく、密集している大都市の中心 付近においては競争力を強めてきた一方、他の地域においては写真専門小売店が 多数存在し、地理的にも点在していることから、経済的に直接販売を行うことは 実際不可能である。 12. 写真機器及び写真材料を主に販売する小規模店舗であるのが典型的である写真専 門店と異なり、大規模小売店の多くは、多様な製品を販売し、規模の経済、広範 な消費者ベース、及び独自の流通組織を有している。このような大規模小売店に 対する販売は、卸売業者をバイパスする手段となり得るが、大規模小売店の数は、 輸入品の販売を飛躍的に増加させるのには端的に不十分である。日本の大規模小 売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法律(「大店法」)及びその関 連措置により、大規模小売店の拡充及び営業は制限されてきた。大規模小売店が 日本の小売販売総額に占める割合は、1982年以来基本的には平行線のままである。 13. 日本の集配ラボは、小売店から受領したフィルムを印画紙を使用して現像し、仕 上がり(プリント)を小売店に返還する。従って、集配ラボは、印画紙の重要な 市場であると共に、小売店に対するフィルム販売の潜在的なチャンネルである。 しかし、日本における集配ラボの大半は、国内製造業者の支配又は系列下にあり、 通常、輸入印画紙を使用せず、輸入フィルムを販売しない。 B. 産業界における協同調整及び非公式措置の使用 14. 1960年代初頭から、日本政府は、産業界の「協同調整」を通じて新産業秩序を形 成することにより、関税、輸入、及び外国投資に関する自由化の効果に対抗する 準備をしてきた。6 もとより、日本政府は、自由化の影響に対抗する目的で、政 府の政策立案者と産業界における関係者との間の密接な協同行為を通じ、日本経 済の各分野における秩序再編成を開始していた。政府と産業界は、協同して、国 際競争に影響を受けやすい分野を強化するための政策をとってきた。 15. この「新産業秩序」を達成するために、通産省は、3つの産業「調整」に依存し てきた。その3手段とは、「説得と互譲の精神」に基づく産業界における「自主 調整」、「金融を通ずる調整」(政府補助)、及び、「政府による調整」である。 7 通産省によれば、政府の役割は、以下のものである。8 「 (イ)企業と協同して新産業秩序の形成のための具体的な諸目標を設定すること。   (ロ)税制、金融面等での優遇措置をベースとする説得と主張を通じて企業を誘導すること。   (ハ)自主調整、金融を通ずる調整が妥当な方向から逸脱しないよう監視すること。 (ニ)必要ある場合には、[政府が]一の経済主体として経済活動に参加すること。   (ホ)他の方途によっては新産業秩序の形成が不能な場合には、[政府]自ら積極的にその形成をはかること。」 16. 通産省の結論は、「このような方途を通じて形成される新産業秩序の下における 経済は、たんなる私的企業をベースとする経済ではなく、政府と私的企業の協同 をベースとする経済ないしは混合経済と呼ばれるべきである」ということである。9 17. 日本の産業政策を成功させるためには、「政府と産業界との間の密接な関係が必 要であった」。10 政府と民間部門の良好な協同行為が実現した理由は、「政府 と産業界の間には歴史的に密接な関係があったこと」、及び、「例え産業界が行 政府の行為を法律上の権限なきものと認識していても、政府との紛争を避けるこ とを強く望んでいたこと」である。11  政府と産業界との間の強力な提携があっ たからこそ、日本政府は、政策を実施するために非公式な手法及び公式な手法両 者に依存できた。12 通産省は、通産省の政策目的を達成するために、非公式な 行政指導に依存することが多い。13 18. 日本政府は、「行政指導」という用語を次のように定義している。「行政機関が その任務又は所掌事務の範囲内において一定の行政目的を実施するため特定の者 に一定の作為又は不作為を求める指導、勧告、助言その他の行為であって処分に 該当しないもの。14」形式的には、「行政指導」は、不履行について正式な法律 効果をもたらさないが、「行政指導は、私人又は私企業に対して、一定の行動規 則を課する政府の規制の一種である」。15 「行政指導」と私人間の要請との相 違は、要請を行う主体、すなわち、日本政府の極めて強力な権限にある。16 こ の権限は、日本においては、「政府は、当該行動規則が適用されるべき産業界に おけるコンセンサスを代言していることが多い」ことから極めて強力なものと なっている。17 19. 従って、外部の者から見れば、政策ガイドライン又は勧告以外の何ものでもなく 見える行為が、日本においては、実際には、政府による指令と同等のものとして 受け入れられる。通産省のような省庁は、「指導」を遵守するよう、その管轄下 にある企業に対し圧力をかけたり誘導したりすることがある。18 「行政指導は、 相手に対して抵抗し難い圧力を課することができる」。19 C. 自由化対策 20. 日本政府がフィルムと印画紙に関する貿易上の譲許の影響を覆す目的で導入した 措置についてみると、その適用範囲は異常に広い。すなわち、中には正式の措置 もあり、またそうでないものもある。写真材料に個別的に適用をみる措置もある し、全産業に共通して適用をみるものもある。表面上差別的な措置もあれば、表 面上中立的なものもある。これらに共通の唯一の特徴は、いずれの措置も外国企 業が持つ個々の競争上の優位性―高率の資本化、低生産コスト、強力なブランド イメージ、マーケッティング技術等―を発揮して国内製造業者の優越的地位に挑 戦する能力を制約することに役立ってきたという点である。 21. 自由化対策は、以下のものを含む種々の異なる形態を採るに至っている。(1) 新規立法。例えば、大規模小売店舗における小売業の事業活動の調整に関する法 律であり、同法は、最も有効な輸入フィルムの販路の一つである大規模小売店の 拡張を制約してきた。(2)現行法の改正。これには1972年における不当景品類 及び不当表示防止法の改正が含まれるが、同改正法は、販売促進活動の規制を強 化するに至った。(3)内閣、通産省、公正取引委員会(日本における競争政策 の施行機関)(「公取委」)による行政命令、規則等。これらは、大店舗及び販 売促進活動に新たな制約を導入するに至った。(4)通産省及び公取委による産 業界に対する非公式の警告や指導。(5)民間事業分野の協調を確保するための 政府による財政援助や技術的支援。(6)政府及び業界による協議組織の形成。 例えば、大蔵省による外資審議会は、公式の投資障壁が取り除かれた後の外国企 業による投資を制約する手段を策定する責任を果たした。また通産省による産業 構造審議会は、流通再編成計画の主たる考案者であった。及び(7)民間企業間 のカルテル類似行為の奨励。政府の有する施行権限を「公正取引協議会」及び市 場での競争を調整する使命を帯びるその他の団体に委譲する措置により実施され た。 22. 日本政府はこれらの諸措置により、公の関税障壁、輸入障壁及び外国企業による 投資障壁につき1960年代に自由化を開始したものの、新産業構造及びその他の非 公式の貿易障壁をもって基本的にはこれらに代替せしめるに至った。日本政府は、 一見するところ際限のない一連のハードルとしてこれらの措置を適用してきてお り、外国企業が国内競争業者の優越的地位に対抗するためには、これらのハード ルを飛び越えなければならないのである。 23. 日本政府は自由化対策を実施に移すまで、公の貿易障壁によって国内市場を保護 してきた。例えば、1964年に日本政府はカラーフィルムと印画紙の関税をそれぞ れ30%及び25%から引上げ、双方とも40%とした。その後日本政府は関税譲許を 次のとおり行なってきた。 ラウンド フィルム 印画紙 白黒 カラー 白黒 カラー ケネディラウンド以前 30%* 40%* 25%* 40%* ケネディラウンド(1967) 15.0% 40% 12.5% 40% 東京ラウンド(1979) 7.2% 4.0% 6.6% 4.0% ウルグアイラウンド(1994) ゼロ ゼロ ゼロ ゼロ (*=適用率であり、拘束性なし) (フィルム及び印画紙に対する日本の関税の歴史と題する添付資料A参照。)更 に、日本政府は1971年までカラーフィルムに対する数量規制を維持していた。 (写真フィルム及び印画紙に対する日本の輸入規制と題する添付資料B参照。) 24. 更に日本政府は、1971年までは写真材料分野における外国企業の投資を禁止して いたが、同年に外国企業が日本の直接的競争業者とジョイント・ベンチャーを組 むことを認めるに至った。(例えば、アグフア社はコニカとジョイント・ベン チャー関係に入ることが可能となった。)日本政府は1976年まで外国の写真材料 業者が完全支配の子会社を設立することを認めず、または1980年まで既存の国内 事業者の支配的持分を取得することを認めなかった。後者は、1980年代の半ばま で続き、政府による審査措置の対象となっていた。 1. 流通対策 25. 1963年のケネディラウンドの開始時点において、外国及び国内の製造業者は、日 本の一次卸売業者を通して写真フィルムと印画紙を販売しており、一次卸売業者 は更に他の卸売業者や小売店に販売していた。このように写真材料製造業者は、 同じ卸売業者にそれぞれの製品を販売すべく互いに競争していた。日本の製造業 者と同様に、外国の製造業者は多くの日本の販売業者と取引をしていたのである。 ところが種々の公の市場障壁が崩壊するに至った1970年代の中頃までに、日本政 府は製造業者と卸売業者の関係を根本的に変革していたのである。その頃までに は、日本の主要な卸売業者のすべては、専ら国内製品を扱うに至った。今日に至 るまで、外国企業でこの閉鎖的販売チャネルに参入しえた会社は一社たりともな いままである。 26. 再編成計画   国際的貿易条件の自由化を目前にして、通産省及び関連製造業 界は、多くの場合外国企業が単に競争力のある製品を供給しうるに留まらず、販 売及びマーケティングにおいてより優れた資源と経営知識を活用しうる立場にい ることを認識していた。通産省は、対策を講じない限り、外国企業のこれらの優 位性が日本の製造業者とその製品に対して深刻な競争状態をもたらすことになる と予見した。外国企業が卸及び小売の段階で国内製造業者にとって替わる可能性 を見て取ったのである。 27. それ故に通産省の関係者及び日本の製造業者は、日本の流通組織を合理化するの と同時にこれを国内生産業者の支配下に組み入れる計画を共同で考案した。「流 通システム化」として知られるようになったこの方針の下では、通産省は、製造 業者から卸売業者を経て小売業者に至る垂直的流通チャンネルの強化を図った。 つまり、専ら個々の国内製造業者の製品を取り扱う卸売業者と小売業者の販売 チェーンを編成することであった。 28. 通産省は、流通業者を国内製造業者により密接に結びつけるために、3つの方法 を目標として掲げた。第一に通産省は、各流通業社が国内の一製造業者の製品の みを販売するに至る取引条件の採用を奨励した。これらは数量値引、リベート及 び適正化された短期支払条件からなる。値引とリベートは、卸売業者が極めて限 られた供給業者からより多く購入することを奨励するものであった。適正化され た短期支払条件は、他の供給業者に対して一層有利な信用取引条件の提示を求め ようとする卸売業者の機会を少なくするものであった。このため卸売業者は、主 たる取引先である製造業者により多く依存せざるをえず、かつかかる製造業者の 提供する信用取引条件の影響を受けやすい立場におかれることになった。 29. 第二に通産省は、写真材料業界に対して倉庫や販売ルートの共同利用等の共通の 施設と運営体制を取り入れるように促した。日本政府は、補助金、専門知識及び その他の便益を提供して、業界が協業化をすすめるように誘導した。 30. 第三に通産省は、情報の共有及びコンピュータによる共同ネットワークの構築が 特定の日本の製造業者とその配下の卸売業者及び小売店のより緊密な関係を構築 するであろうとの判断を行った。そこで通産省は、標準化されたデータベース、 商品発注書及び金融情報を用いるように製造業者と卸売業者を指導した。 31. 同時に通産省は、流通システムにおける水平的要素の絆をより密接なものとする ように努めた。この方針の下に通産省は、小売店が日本の製造業者と取引を行う ために、ボランタリーチェーンに参加するよう働きかけた。この主たる成果は、 従前は独立に営業していた集配ラボを日本の小売業者又は卸売業者が新規に結成 したグループに統合するか、または集団化して単一の日本の製造業者と取引を行 うグループに統合するに至ったことにある。 32. 計画の実施   通産省は、自由化に対処するため国内の写真用材料製造業者と 協力して作業を行った。通産省は、写真用材料の流通再編成に専念する多くの審 議会や委員会を開設した。これらには、1963年の天然色写真振興審議会、1964年 の産業構造審議会の流通部会、1969年の取引条件適正化委員会、1970年の流通シ ステム化推進会議、1972年の流通システム開発センター及び1975年の流通システ ム化推進会議の部会である写真感光材料委員会が含まれる。これらの委員会は、 流通経路の縮小を目的とする取引条件の適正化とその他の取引慣行の形成に向け ての政府と民間企業の協力体制を象徴するものであった。 33. 通産省及びその主催する各種委員会は、次々と討議資料及び報告書を発表して業 界にシステム化の受容を促し、また垂直的結合の強化、数量値引、リベート及び 共通かつより厳格な支払条件の利用を繰り返し要請した。これら一連の書類は、 こうした取引慣行が予期される外国企業との競争に対処するための「自由化対 策」になるであろうと繰り返し指摘した。 34. ケネディラウンドが終結に向かう中で、日本の内閣は、1967年6月に自由化の影 響を相殺する対策の実施を正式に承認し、日本市場の保護を国家的優先課題とす る旨の位置付けを行った。当該内閣は、流通分野での自由化対策が日本の国内生 産に及ぼす悪影響を防止するために必要であることを強調した。20 35. この閣議決定の後、通産省は全精力を注いで、取引条件の適正化を再び要請した。 日本の主要な写真用材料生産者である富士とコニカは、卸売業者との取引でかか る標準条件を直ちに採用した。通産省のもくろみ通り、これらの結果もたらされ た日本の主要な写真フィルム・印画紙の供給業者間での競争の欠如は、写真材料 専門の卸売業者の財務状態を悪化させるに至った。最終的には大手写真専門一次 卸売業者の全てが排他的条件の下に国内製造業者の製品を取り扱うことに同意す るに至った。 36. 通産省の介入以前においては、外国製造業者は、輸入割り当て及び高関税率の負 担に煩わされつつも、ほぼ全ての日本の写真材料専門卸売業者と接触出来たので ある。1975年初頭までには、日本における消費者向け写真材料市場の競争条件は 完全に変容を遂げるに至った。この時点では、主要流通業者の中で輸入製品を扱 うものは絶無となってしまった。わずか10年強の期間に外国のフィルム及び印画 紙製造業者は、主要販路から閉め出されてしまっていたのである。その後の歳月 における膨大な努力にもかかわらず、フィルム及び印画紙の外国製造業者にとっ て、日本の一次卸売業者への接触の道は閉ざされたままになっており、その必然 的な結果として、多くの日本の二次卸、写真専門小売店及び集配ラボとの接触も また閉ざされたままの状態にある。 2. 大規模小売店舗に対する規制 37. 日本政府による写真材料分野における卸売事業の再編成にも拘わらず、潜在的な 重要性を有する一つの代替流通経路が残された。大規模小売店である。1960年代 後半、スーパーマーケット及びその他の「セルフ・サービス店」の数は急速に増 加し、これらの店舗は写真小売分野においてますます重要な存在となりつつあっ た。かかる大規模小売店は、一次卸売業者経由の流通網から締め出されていた外 国製造業者に対し、卸売業者を経由する流通経路の代替経路(その一部に過ぎな いが)を提供すると考えられた。大規模小売店は、小規模店舗よりも輸入製品の 販売に積極的であり、国内製造業者からの圧力に対する抵抗力も有していた。こ のような大規模小売店が日本全国に急増しえたならば、卸売業者の重要性は減少 し、外国製造業者は狭隘な流通システムの抜け道を見つけることができたであろ う。 38. 日本政府はこの恐れを認識した。そのため、1967年及び1968年に、日本政府は大 規模小売店の拡張に規制を課し始め、1973年には大店法の制定に至った。同法は、 大規模小売店の新規開店及び既存店舗の増設に煩雑な手続きを課した。1500平方 メートル超の店舗面積を有する店舗を開店し又は拡張しようとする企業は、遅く とも12カ月前までに通産省に届け出なければならなかった。同法により通産省は、 予定される新店舗が周辺の中小小売業に及ぼす影響について判断する権限を与え られていた。支障が認められた場合は、通産省は案件を大店審に付託し、大店審 は、「調整」(開店日の繰り下げ、店舗面積の削減、休業日数の増加又は営業時 間の短縮)を行うよう届出者に勧告することができた。同法はまた、営業時間及 び最低年間休業日数を規制することにより大規模小売店の営業方法を制限した。 39. 同法を制定する際、日本政府は、同法の規制的性格及び日本企業のために日本市 場を保護するに当たってのその効用を認識していた。国会審議中、元首相で当時 通産大臣であった中曾根庚弘氏は、新法は、「(外資に対する)抵抗力をつけ」、 「(外資に対する)要撃能力をつけ」るための方法であると述べた。21 40. 通産省は、1974年以来、頻繁に同法を理由に店舗面積の削減調整を要求した。し かし、これらの削減決定は、同法の効果の僅かな部分を説明するにすぎない。通 産省はしばしば、大規模小売店の拡張を制限するために非公式の手段により地元 商業者団体と協力している。その結果、大規模小売店は、地元小売業者から、 「自主的に」規模を調整するように圧力を受けることがある。実際、通産省は、 正式な審査過程においてさえ、地元商業者の見解に大きく依存している。大規模 小売店と競争する中小小売業者が法律に基づいて政府の決定に多大な影響を与え 得ることは、即ち、出店予定の大規模小売店に対し、規模縮小の圧力が確実にか かることを意味する。地方公共団体の中には、更なる指導要綱を制定し、より厳 しく大規模小売店の規模及び営業を規制しているところもある。 41. 大店法の広範囲に及ぶ効果にも拘わらず、日本政府は1979年にその適用範囲を拡 大し、多くの点でその規制を強化した。この修正により、最低店舗面積は引き下 げられ、500平方メートルを超える全ての小売店が同法の適用を受けることに なった。更に、同法はまた、店舗を2種類に分類し、店舗面積が500平方メート ルから1500平方メートルまでの店舗に関する届出は都道府県知事の審査を受け、 店舗面積が1500平方メートル超の店舗に関する届出は通産省の審査を受けること になった。また、審査手続きの最長期間は12カ月から17カ月に延長された。これ らの変更の実際の効果は、審査手続をより繁雑なものにする一方で、法律の制限 を受ける店舗の範囲を拡大することだった。 42. 1982年には、規制は更に厳しくなった。通産省は、大規模小売店に対し、政府に 届出を行う前に地元小売業者に出店計画又は拡張計画の「事前説明」を行い、出 店計画又は増設計画に対する地元小売業者の同意を得ることを要求する通達を発 したのである。これにより、大規模小売店は、政府の承認を求める前に地元小売 業者との間で調整のための交渉をすることを義務づけられることとなった。この 変更は、大規模小売店の開店を際限なく遅らせる権限を地元小売業者に与えるこ ととなった。 43. 通産省の「事前説明」通達に基づき、地元小売業者団体は、写真専門の大型ディ スカウント・ストア及びフィルム及び印画紙を扱うその他の大規模小売店から、 最低価格を維持し、広告及び販促活動を制限し、価格安定化に関する協議が行わ れる地元小売業者協会に参加すること等を取り決めた協定を強制的にとりつけて きた。当該通産省の通達により、そのほぼ直後から大規模小売店の届出数は激減 した。この大規模小売店の出店又は増設の届出の減少は1980年代中続いた。通産 省は、1992年に、その「事前説明」手続きを変更したが、変更後も、地元小売業 者が大規模小売店に店舗面積を削減し、又はその他の調整を行うよう圧力をかけ ることを可能にさせ続けた。 44. 上記の変更及び同法のその他の最近の改正にも拘わらず、大規模小売店の出店及 び増設に関する規制は依然として厳しいままであり、より規模の大きい店舗によ りその販売を拡大しようとする外国写真材料製造業者の努力を阻み続けている。 3. 販売促進対策 45. 日本政府は、小売店に対する法的規制だけでなく、写真材料の製造業者、卸売業 者及び小売業者がその製品の販売促進を行う方法を制限する措置体制を通じて流 通対策を強化した。日本政府は、輸入フィルム及び輸入印画紙の外国製造業者が 日本市場において販売を拡大できる手段として残された最も重要な手段のうち、 経済的誘因及び積極的広告という2つの手段を制限した。 46. 日本政府の「販売促進対策」は、業者が、一定の値引、賞品、クーポン及びその 他の誘因を利用し、又は革新的な広告キャンペーン(特に価格又は価格比較が唱 えられている広告)に依存する可能性を制限することにより、フィルム及び印画 紙の外国製造業者を不利な立場においた。日本政府は、景表法並びに私的独占の 禁止及び公正取引の確保に関する法律に基づく公取委の規則を通じて販売促進対 策を実施した。かかる販売促進対策は表面上は中立的なもの、即ち、フィルム及 び印画紙の国内製造業者にも適用されるものであるが、日本政府は、外国製造業 者の強力な資本力およびコスト競争力並びにこれらの資源を強力なマーケティン グ戦略に転換することのできる外国製造業者の能力という、日本政府が最も恐れ た国際競争に関連する2点に対抗する意図でかかる対策を課してきた。 47. 公取委は、販売促進活動に関する多数の規制を公布してきた。1962年から1996年 までの間に、公取委は、製造業者が、卸売業者又は小売業者と新しい関係を構築 し、又は大量販売を促進するために卸売業者又は小売業者に提供する景品につい て厳しい制限を課し、写真機の販売に至っては、景品の利用を一切禁止した。今 日に至るまで、公取委は、一般消費者に提供され得る景品を、基本的には当該商 品の価額の10%以下という、限定的な価値を有する景品に限っている。更に、公 取委は、価格に関連する記述に影響を与える規制及び差別的な原産国表示要件を 含む、様々な広告表現に関する規則を承認した。 48. 規制の実施は、公取委及び47都道府県によりなされる。更に、公取委は、民間団 体の「公正取引協議会」により作られる、いわゆる「公正競争規約」に公式の承 認を与えた。これらのいわゆる「公正取引協議会」は、当該規約に違反した会員 を懲戒する権限を有しており、しばしば強制及び罰金という手段を用いる。同協 議会がその規約において設定した基準は、一般に公取委によっても参酌され、公 取委は同様の規則を「アウトサイダー」に対しても適用するようになっている。 景表法は、同協議会のカルテルに類似する行為について、明示的に独占禁止法の 適用除外としている。 49. 日本政府は、貿易自由化後の輸入品による積極的な販促競争に対抗する目的(少 なくとも部分的には)で景表法を公布した。事実、景表法を国会に提案する際、 同法案の立案者は、景表法が貿易自由化の効果を緩和することを認識していた。 後に、公取委は、かかる規制が「自由化の前に防波堤」として役立つだろうと強 調した。22 50. この規制の網は、新しい又は革新的なマーケティング・キャンペーンにより外国 のフィルム及び印画紙製造業者が日本市場に参入することを極めて難しくした。 公取委及びあらゆるレベルの日本の写真産業を代表する形で垂直的に統合された 公正取引推進協議会による規制の実施により、1980年代のコダックの最も重要な 販促キャンペーンは抑圧された。公取委は、販促活動を主導したコダック関連の ラボ及び小売店に対し措置を講じ、写真小売業者の公正取引協議会は、コダック に対し、その価格安定化に協力するよう要求した。外国製造業者は、協議会、都 道府県、公取委又は連帯したこれらの機関を怒らせることを恐れて、一様に革新 的な販促手法の採用を差し控えている。 51. 大手流通業者を通じて小売業者にアクセスすることができず、また、直接取引を 行うことのできる大型小売業者の数が制限されていることから、外国写真材料製 造業者は、複雑な日本の販促規制からの出口を探し続けている。これらの規制は、 自社製品に対する消費者の需要を刺激しようとする外国企業を抑制している。十 分な需要を生じさせることができれば、流通業者及び小売業者が輸入製品を求め る度合は増すであろう。しかし、外国写真材料製造業者は、流通システムから排 除され、その発言力も弱められているので、日本市場における供給業者としては 常に隅に追いやられてきた。 D. 輸入製品の限界的地位 52. 自由化対策による最終的な影響は、その意図された通り、輸入品の販売を妨げる 市場構造を構築するということであった。こうした構造は、今日においても存在 している。輸入割当、関税及び投資の制限が撤廃され、外国企業が日本における 競争のために多大な努力を傾注したにも拘わらず、輸入フィルム及び印画紙の市 場シェアは、この10年間伸び悩んだままである。(図1参照。)外国の製造業者 による技術革新の継続や多額の投資は、限られた成果しか生み出せなかった。 53. コダックは、1986年以来日本市場における価格を56パーセント引き下げ、国内卸 売価格も大幅に下げたが、市場には実際上何の影響も現れなかった。(図2参 照。)同様に、アグフアも、その製品の販売にディスカウント販売経路を利用し ようと積極的に試みたが、僅かな成果しかあげられなかった。外国の写真材料製 造業者が行った劇的な値下げは、国内の競争業者の価格よりはるかに低い水準に までなされたにもかかわらず、小売段階で消費者に還元されずに終わる場合も 多々あった。 54. 日本における流通システムの再編成及び革新的なマーケティングの抑圧は、写真 材料業界における競争を減少せしめるに至った。フィルム及び印画紙の競争条件 を「同等」にしようとする日本政府の努力は、実際には、有力な国内ブランドが 競争上非常に有利な条件を得るという現状の維持に寄与するものであった。これ により、日本は、関税と貿易に関する一般協定(1994年GATT)の締結国としての 義務及び世界貿易機関(WTO)のメンバーとしての義務に矛盾する行動をとって きた。従って、日本政府はこれらが目標とするものにその体制を合致させるため に必要なあらゆる方策を講じなければならない。 E. 手続の経緯 55. 米国政府は、紛争解決に関する規則及び手続についての了解事項第4条並びに関 税と貿易に関する一般協定(1994年GATT)第23条1項に従い、1996年6月13日、本 件に関する協議を日本政府に申し入れた。協議は1996年7月11日に行われたが、 紛争の解決には至らなかった。米国政府は、1996年9月20日に、本件小委員会の 設置を要求した(WT/DS44/2)。紛争解決機関は、1996年10月16日、以下の付託 条件のもとに本小委員会を設置した。 文書WT/DS44/2において米国政府が引用した、適用協定の関連規定に照らし、 米国政府により文書WT/DS44/2によって紛争解決機関に付された問題を検討 し、及び同機関が当該協定に規定する勧告又は裁定を行うために役立つ認定 を行うこと。23 (略) III. 法律上の主張 A. 主張の概要 1. 無効化又は侵害(第2条及び第23条1項(b)) 377. 米国政府は、30年以上に亙って、また1967年のケネディラウンド、1979年の東 京ラウンド及び1994年のウルグアイラウンドと3回の連続した多角交渉のラウ ンドにおいて、写真フィルムと印画紙について日本政府と交渉し、譲許を受け てきた。日本政府は、法律、規則及び行政指導を含むその他の措置によって、 輸入製品と国内製品の競争関係を覆してきた。日本政府は、流通対策、大規模 小売店への制限及び販売促進対策の適用により、輸入フィルム及び印画紙につ いての市場アクセス改善に関して米国が抱いた妥当な期待を裏切り、米国が得 るべき利益を無効化し侵害してきた。509 こうした日本政府の行為は、米国が 多角的関税交渉の各ラウンドにおいて関税についての譲許を求めて交渉してい た際には、合理的に予測することができなかったものである。 378. 1994年GATTの本文には、WTO協定の発効日以前に1947年GATTに基づいて効力を発 生した関税についての譲許に関連する全ての議定書及び確認書(ケネディラウ ンド及び東京ラウンドにおける日本の関税についての譲許を含む)が含まれて いる。510 従って、かかる譲許に基づいて米国が得る利益は、マラケシュ協定 に添付された日本への適用別表から発生する譲許と同様、1994年GATTのもとで の利益とされるものである。以下に説明されている通り、写真材料に関する輸 入製品と国内製品との競争関係は、日本政府が講じた措置の結果として覆され てきたのであり、依然として覆され続けている。 379. 日本政府が講じた数々の措置を組み合わせてみると、日本の貿易相手国が受け た関税についての譲許から合理的に期待される市場参入の機会を妨害するため の体系的かつ綿密な計画が明らかになる。米国政府は小委員会に対し、日本政 府が、1994年GATTの第23条1項(b)の趣旨の下において米国に与えられる利益を 無効化しかつ侵害する措置を講じており、それによって、3回の継続ラウンド で第2条に基づき米国に付与された関税についての譲許の利益を侵害している と結論するよう要請するものである。 2. 内国民待遇(第3条) 380. 日本政府は、日本が輸入制限を撤廃し、関税を下げ、投資制限を自由化した後 においても、日本の写真フィルム及び印画紙に「保護を与えるように」、流通 対策を立案し適用した。流通対策は、第3条4項の趣旨において、写真フィル ム及び印画紙製品の国内における販売、販売のための提供及び分配に直接影響 を与える要件に該当する。この要件の適用により、日本政府は、国内原産の同 種の産品に許与される待遇より「不利でない待遇」を許与する義務を履行して いないことになる。米国は小委員会に対し、外国企業による輸入製品の流通及 び販売の機会を侵害する措置を日本政府が講じており、その結果、かかる措置 が第3条に基づく日本の義務に合致しないと結論するよう要請するものである。 3. 貿易規則の公表及び施行(第10条) 381. 自由化対策計画を構成する様々な措置を企画し履行するに際し、日本政府は、 概して貿易相手国―又は日本市場において競争に参入しようとする私企業―が 政府の行為又はその結果の本質を把握するのを極めて困難なものとした。自由 化対策が展開されてきた期間を通じ、また現在に至るまでの間、日本政府は、 不透明な形式の行政的措置に多く依存してきており、その保護主義的措置を施 行するために、網状組織とも言うべき官民(協調)関係を助成し、利用してきた。 382. 米国政府は小委員会に対し、その自由化対策を履行し維持する日本政府の行為 が、1994年GATT第10条1項に基づく「一般に適用される法令、司法上の判断及 び行政上の決定を、・・・諸政府及び貿易業者が知ることができるような方法 により、直ちに」公表する義務に合致しないものであると結論するよう要請す るものである。 (略) IV. 結論 501. 日本政府が消費者向け写真フィルム及び印画紙材料につき講じた上記の諸措置 は、輸入品と国内製品間の競争関係を撹乱するものであるのに加え、輸入写真 フィルム及び印画紙材料を、類似の国内製品に比し、不利に取扱うものである。 よって米国政府は、小委員会に対し、日本政府の措置が第23条1項(b)の規定 の趣旨の下で米国に与えられる利益を無効化または侵害するものであり、 GATT1994年第3条及び第10条に抵触するものであるとの結論を出されるよう要請 する次第である。 1 本書における「消費者向け写真フィルム」には、ハロゲン化銀技術を使用して スチール写真から作成するカラーフィルム及び白黒フィルムで、一般消費者が個人用 に映像を撮影する目的で使用するフィルムを含む。同用語はまた、ネガフィルム及び リバーサルフィルム(スライドフィルム)を含み、フィルムと共に写真現像所に返送 されるいわゆる「レンズ付きフィルム」に組み込まれているフィルムも含む。同用語 は、再販目的で写真専門家により使用される専門的フィルム(「プロ向け」フィル ム)や、その他の様々な特殊フィルム(X線フィルムやマイクロフィルム)を含まない。 本書における「消費者向け印画紙」は、一般消費者の典型的な需要に応じた映像及び 応用品としてのスチールカラー写真プリント及びスチール白黒写真プリントを消費者 向け写真フィルムから作成するのに使用される感光性の紙を意味する。 2 「対内直接投資等の自由化について」1967年6月6日閣議決定(「閣議決定」) 通商産業政策史17巻、380頁。添付資料67-6。 3 インスタントフィルムを専門とするポラロイドは、日本においては、写真材料 をも販売している。しかし、米国は、インスタントフィルムに関しては、無効化や侵 害又は違反を主張していない。国内製造業者2社(オリエンタル写真工業株式会社及 び三菱製紙株式会社)は、印画紙のみを製造している。国内写真材料製造業者4社は 全て、集配ラボに印画紙を販売している。 4 コニカは、販売業社4社を吸収し、これらは現在コニカの子会社2社として組織 されている。 5 コダックもアグフアも、日本においてフィルムを製造していない。従って、日 本におけるこれら2社の販売は、全て輸入品に係るものである。富士及びコニカのフィ ルムは、日本において製造されている。 6 「新産業秩序の形成について」(「新産業秩序」)1962年5月9日、通商産業 省、通商産業政策史17巻、403〜407頁。添付資料62-5。同書は、通産省の公式編纂委 員会により「通商産業政策に関する[通産省の]基本的資料」の1つとして位置づけら れている。同上、3頁。 7 同上、406頁。通産省は、「政府による調整は、いわゆる行政指導から法律によ る強制にいたる幅広い政府の権限を行使して産業秩序形成のための調整を行おうとす る考え方である。勧告操短から業法にいたる政府の多くの機能は、政府による調整の 介入の余地の少なくないことを示している。」と説明している。 8 同上、407頁。 9 同上。(下線は筆者による。) 10 松下満雄著、「International Trade and Competition Law in Japan」(Oxford: Oxford University Press、1973)276頁。添付資料93-1。 11 同上。67頁、及び276頁。 12 同上。277頁。 13 同上。60頁。 14 行政手続法(公法、法律第88号(1993年))第2条6号。通産省の行政指導の 法的権限は、その組織法である通商産業省設置法(公法、法律第275号(1952年)。添 付資料52-2)に基づいている。「政府機関、特に通産省は、行政指導が、「設置法」 にその旨の特別の規定が存在しないにもかかわらず、「設置法」により認められてい ることを強調してきた。」(松下満雄著、「International Trade and Competition Law in Japan」(Oxford: Oxford University Press、1973)65頁。添付資料93-1。 15 同上。60頁。 16 同上。61頁。 17 同上。 18 同上。61〜62頁及び67頁。 19 同上。69頁。 20 閣議決定、添付資料67-6、381頁。 21 第71回国会衆議院会議録第52号、1973年7月19日付官報、5頁、添付資料73-2。 本書において引用される出版物の内容については、別紙Cの出版物リストを参照のこと。 22 「きびしい業者に対する景品提供期限:公取から説明きく 12日 特約連が如 水会館で」1967年6月20日、日本写真興業通信、25頁、添付資料67-68。 23 WT/DS44/3、1966年12月17日付。 509 GATTの2つの小委員会は、関税についての譲許が連続する関税交渉のラウンドで 行われた場合に、第23条1項(b)の救済措置を適用した。「欧州経済共同体-脂肪種 子及び関連する動物飼育用蛋白質(animal-feed proteins)の加工者及び生産者に支 払われる金額及び交付金」(L/6627、1990年1月25日採択、BISD375/86)に関する小委 員会及び「欧州経済共同体-桃の缶詰、洋梨の缶詰、フルーツカクテルの缶詰及び干し 葡萄に付与される製造補助金」(L/5778、1985年2月20日)(未採択)に関する小委 員会参照。 510 1994年関税及び貿易に関する一般協定、第1パラグラフ(b)(i)。