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年表:サダム・フセインの欺まんと抵抗 −「無条件」という言葉は聞き飽きた

ホワイトハウス報道官室

2002年9月17日

 ブッシュ大統領は先週、イラクが国連決議に抵抗を続けていることに世界が注目するよう呼びかけた。フセイン政権は昨日、イラクが国連決議を無条件で受け入れると発表した。この声明は国際的な圧力があれば、フセイン政権は対応を余儀なくされることを示したものだが、これまでのやり方の繰り返しでもある。イラクによる「無条件」という言葉は、これまでも欺まんや時間かせぎ、そして国連の軽視を意味してきたからである。

  「イラク共和国政府は、国連の兵器査察団のイラク再入国を無条件で認めると決定した」 ― イラクのナジ・サブリ外相、2002年9月16日 (下線追加)

 以下の年表では、イラク政府がこれまで再三再四、査察を「無条件」で受け入れておきながら、その後、多くの場合ピストルで脅すような形で、条件をつけてきた行動様式を列挙する。年表に盛り込まれた情報は、国連大量破壊兵器廃棄特別委員会(UNSCOM)が1998年10月にまとめた報告書、およびhttp://cns.miis.edu/research/iraq/uns_chro.htmに掲載されたデータに基づいている。

1991年4月3日 国連安保理決議687号(1991年)C項により、イラクは国際的な監視のもとで、大量破壊兵器と射程距離150キロ超の弾道ミサイルを「破壊、撤去、無効化」することを無条件で受け入れるよう求められる(下線追加)。イラクは1週間後、この決議を受け入れる。687号の規定は、国連が1991年6月と8月に取った措置の中でも繰り返され、強化された。

1991年5月 イラクはUNSCOMとその職員が特権・免責を持つことを受け入れる。その特権には「UNSCOM職員の出入国、および設備・機材などの搬出入を、妨害を受けず遅滞なく行なえる無制限の自由の権利」が含まれている。(下線追加)

1991年6月 イラク兵士が、査察官が車両に近づくのを妨害するため威嚇射撃を行う。

1991年9月 イラク政府職員が、査察官の書類を没収する。査察官が残りの書類の引渡しを拒否したため、イラクは査察団による施設からの書類持ち出しを禁止する。膠着状態が4日間続いたが、国連安保理が強制措置を取るとの声明を出したため、イラクは査察団が書類を持ち出すことを認めた。

1991年10月11日 国連安保理は決議715号を採択し、UNSCOMとIAEA合同による継続的な監視・検証計画を承認する。UNSCOMの計画は、「イラクはUNSCOMが指定した査察官とその他の職員を無条件で受け入れなければならない」とした(下線追加)。

1991年10月 イラクは、決議715号によって採択された継続的監視・検証計画は違法であり、この決議に従うつもりはないと述べる。

1992年2月 イラクは、禁止された計画に使用された一部の施設および関連物資を破壊するとしたUNSCOMおよびIAEAの決定に従うことを拒否する。

1992年4月 イラクは、航空機とパイロットに危険が及ぶ可能性があるという理由で、UNSCOMによる監視飛行の中止を求める。国連安保理議長は、UNSCOMが監視飛行の実施権限を有することを再確認する声明を発表する。イラクは、UNSCOMの監視飛行に対するいかなる軍事行動も考えていないと回答した。

1992年7月6日〜29日 イラクは、査察団による農業省への立ち入りを拒否する。UNSCOMは、農業省には禁止された活動に関連する文書が保管されているとの信頼できる情報を得ていたと主張する。査察団は、国連安保理理事国が強制措置を取るとの圧力をかけた後、農業省への立ち入りを認められた。

1993年1月 イラクは、UNSCOMが自らの航空機でイラク入りすることを拒否する。

1993年6月〜7月 イラクは、UNSCOMの査察官がミサイル・エンジン実験台2基に遠隔監視カメラを設置することを拒否する。

1993年11月26日 イラクは、決議715号と継続的な監視・検証計画を受け入れる。

1994年10月15日 国連安保理は決議949号を採択し、イラクに対しUNSCOMに「全面的に協力する」こと、およびイラク南部に展開する軍隊を撤退させ当初の配置に戻すことを求める(下線追加)。イラクは軍隊を撤退させ、UNSCOMとの協力を再開した。

1996年3月 イラク治安部隊は、UNSCOMの査察団が指定された施設5カ所に立ち入ることを拒否する。査察団は、17時間後に施設に立ち入りを認められた。

1996年3月19日 国連安保理は議長声明を発表し、イラクの行動に対する懸念を表明するとともに、これを「イラクによる関連決議に対する明白な違反」であるとする。安保理はまた、イラクに対しUNSCOMが査察対象施設すべてに即時、無条件かつ無制限に立ち入ることを認めるよう求めた(下線追加)。

1996年3月27日 国連安保理の決議第1051号により、イラクの輸出入を監視するメカニズムが承認された。同時にイラクに対しては、このメカニズムによって課せられる義務をすべて無条件で果たすこと、およびUNSCOMとIAEA事務局長に全面的に協力することが求められた(下線追加)。

1996年6月 イラクは、禁止条項の「隠蔽の手口」を調べるためにUNSCOMの査察団が施設に立ち入ることを拒否した。

1996年6月12日 国連安保理は決議第1060号を採択し、イラクの行動は国連安保理のこれまでの決議に対する明らかな違反であると断定した。国連安保理はまた、イラクに対してUNSCOMが査察を行うために指定したあらゆる施設への「即時かつ無制限の立ち入り」を許可するよう求めた(下線追加)。

1996年6月13日 決議第1060号の採択にもかかわらず、イラクは新たな査察団の立ち入りを拒否した。

1996年11月 イラクは、UNSCOMがイラク国外で綿密な分析を行うためにミサイル・エンジンの残骸を持ち出すことを阻止した。

1997年6月 UNSCOMのヘリコプターに同乗したイラクの護衛兵は、パイロットが予定された目的地に向かうのを妨害しようとした。

1997年6月21日 イラクは、UNSCOMの査察団が査察のために施設に立ち入ることを、再度拒否した。

1997年6月21日 国連安保理は決議第1115号を採択してイラクの行為を非難し、イラクに対してUNSCOMが査察のためにあらゆる施設に即時、無条件かつ無制限に立ち入れるようにすることを求め、イラク当局者との面談についても同様のアクセスを求めた(下線追加)。

1997年9月13日 UNSCOMのヘリコプターに乗っていた査察官は、査察指定施設内で不審な動きをしていたイラク車両の写真を撮ろうとしたところ、イラク軍将校から暴行を受けた。

1997年9月17日 イラクが「機密区域」であるとする施設に立ち入ろうとしたUNSCOMの査察官は、イラクの護衛兵がファイルを持ち出し、書類を焼却し、灰の入った缶を近くの川に捨てているところを目撃し、その様子をビデオに撮影した。

1997年11月12日 国連安保理は決議第1137号を採択し、UNSCOMとの協力に対して条件を課そうとするなど、イラクは義務に違反し続けていると非難した(下線追加)。同決議では、義務違反について責任のある(またはそれに関与した)イラク当局者の移動も制限された。

1997年11月13 日 イラクは、UNSCOMで働く米国民に対して直ちに国外に退去するよう求めた。

1997年12月22日 国連安保理は、イラクに対してUNSCOMに全面的に協力するよう求める声明を発表し、イラクが施設への即時、無条件かつ無制限の立ち入りを認めないのは、国連安保理の決議に対する容認不可能な明らかな違反であると強調した(下線追加)。

1998年2月20日〜23日 イラクは、1998年2月23日、国連との覚書に調印し、国連安保理の関連決議をすべて受け入れること、UNSCOMやIAEAと全面的に協力すること、およびUNSCOMとIAEAに、査察のための「即時、無条件かつ無制限の立ち入り」を許可することを約束した。(下線追加)

1998年8月5日 イラク革命評議会とバース党指導部は、制裁措置の終了へ向けた第一歩として国連安保理が原油の輸出禁止措置の解除に同意するまで、UNSCOMやIAEAとの協力を停止すると決定した。

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